TRAVEL ESSAY

DO DO HOUSEのそばのよく通った屋台の店。


ケニヤ旅行記(14)

1980年2月8日から3月18日まで

第14回 ナイロビでの遅い手続き

 

 今日、3月10日は本来なら日本へ帰る予定の日である。思えば丸1ヶ月、我々は海外の初めての土地で、何の制約もないまま生活したことになる。1ヶ月はさすがに身にあまるものだったが、ここまでくると2ヶ月、3ヶ月と異国で生活できる機会があれば、したいことは山程あるなと思った。しかし、限られた日数の中で活動するから旅行なのであって、その与えられた時間をどのように過ごせたかが問題なのだろう。そうして考えてみると、この1ヶ月は実に波乱に富んだものであった。むしろ予定通りにいかなかった分だけ得るものは多かったような気がする。自分が求めていた旅とは、思わぬところで経験したハプニングが災いして、逆に大変貴重なものになって返ってきたことを実感している。

 さて今日はナイロビに戻ってしなくてはならないことが山積みの日で、次から次へと用件を片付けていった。先ずアルマンズーラに居を構え、日本大使館へ行き、パスポートをもらう。ケニヤの日本大使館発行という珍しいパスポートになってしまった。その後、銀行で換金をし、トラベラーズ・チェックの残り分をもらい、PIAへエアー・チケットの手配を依頼しに寄り、アフリカン・ヘリティジへ例のメッセージをもっていった。ついでにマーケットで買物をし、戻ってから食事を作るという忙しさだった。パスポートとトラベラーズ・チェックは無事再発行の運びとなったが、目下のところ問題はエアー・チケットである。PIAがいうには、誰か保証人さえいれば再発行が可能であるとのこと。午後になってからその保証人の件を日本大使館に頼みにいき、使われていたらその代金は日本へ戻ってから払いますという誓約書を書かされた挙げ句、しぶしぶOKしてもらった。しかしそれも明日、PIAへ持っていってみないとどうなるかわからない。全く手間のかかる話しである。

 翌日もやることが沢山あったので朝早く起きて朝食を簡単に済まし動きまわる。まずセントラル・バンクへいって外貨申請書の再発行をしてもらい、イミグレーションへいき、入国スタンプを押してもらい、同じビル内のバークレー銀行で一ヶ月ぶりの換金をした。300ドルが220シルちょっとになる。久しぶりに手にする自分の金に心が踊る。これで庄司にも借金が返せるという訳だ。換金している間、庄司は大使館へいって昨日のPIAに出す書類をもらいにいっている。PIAで待ち合わせたのだが、なかなか現れないのでちょっとJapan Information Center へ寄って本を借りてからもう一度PIAへいく。庄司と前田くんが来ていて、手続きをしている。しかし、大使館からのレターの中にギャランティがうたってないので受け付けてくれず、その文句を再び大使館に行って入れてもらうことになった。

 午後からは庄司が大使館→PIAコースを担当し、私はアフリカン・ヘリティジへいって荷物の輸送の相談をしにいくことになった。ケニヤッタ・アベニューにあるその店は、いわゆるアンティーク・ショップとしてつとに有名で、大きな店内を見渡すと、その片隅に見覚えのある我々の荷物が既に届いていた。その荷物を店員と一緒に車に積み、パッキングをする場所まで連れていかれる。結構遠くの場所で、倉庫のような一角で荷物を開け、再度パッキングし直すこととなる。そこへ昨日会ったイギリス人の女主人がやってきてオフィスへと案内される。そこで航空便だといくらかかるかを聞くと、何と5600シルもかかるという。そこで一番安い方法を尋ねると船便しかないとのことだったが、これも1500シルほどかかるとのこと。結論は出さずにパッキングだけはとりあえずお願いしますと伝えて握手。帰りは彼女の車で市内まで送ってもらい、待ち合わせのPIAへ行く。もうここの女性事務員とは顔馴染みの間柄で、何も言わないのに「フレンドはまで来ていないわよ」ということだった。

 そこで一旦ホテルに戻って庄司を探したのだが、部屋には鍵がかかっていて中に入ることもできなかった。もう一度PIAまでいくと、庄司が丁度入ってくるところだった。近くのケーキ・ショップへ入ってお互いの結果を報告する。大使館の方はやはり保証人にはなれないとのことらしく、明日又来い、ということになったそうな。荷物の件は船便で仕方ないが、もう少し安くなるよう交渉しようということになった。

 その後、別れて一人で部屋に戻ると我々の部屋に見知らぬ日本人の女の子が来ていた。挨拶していろいろ聞いてみると、彼女もDo Doのツーリストの一人で今までエンドー・ハウスに泊まっていたが、お金を取られてしまったのでこの安ホテルへ来た、とのことだった。ここにも被害者がいたのかと多少同情してみたものの、この娘ちょっと変な感じで、ケニヤのことをまるで知らない発言が多い。例えば、チャイって何ですか?と聞かれた時は何て返事したらいいのか困ってしまった。彼女の目的はサファリをしたいとのことでさかんに「他の日本人で行く人を知りませんか」とか「あなた一緒にいきましょうよ」などと迫ってきたので、いずれもこちらの関心外だったので丁重にお断りした。

 夜になると彼女は上の階に泊まっている日本人と一緒にカジノへ行くといって出ていった。我々はほっとして食事の準備にとりかかる。庄司も前田くんもピンときたらしく、このエキセントリックな娘を無視し続けていたのだ。今日は前田くんがパリから後生大事に持ってきたお米を炊いて、ちょっと贅沢な夕食となってしまった。

 今日の予定はまず日本大使館へ行って、保証の条項を盛り込んでもらうことからスタートした。1回ではなかなか用が済まず、2回行くことになってしまったが、しつこく通ったせいでやっと新しいフォームの手紙をもらうことができた。それができるまで又、午後まで待つ結果となり、昼をどこかで食おうということになった。これまでいろいろお世話になったお礼にと、680で庄司に飯をおごる。ゆっくり食べた後、PIAへいこうとすると、レンタ・カー屋のデイヴィッドにばったり会う。この間はお前はいなかったじゃないか、と言うと、ソーリー、今度は金曜日に来いという。いい加減な奴だなと思いながらも笑って別れる。PIAに着くと佐々木くんも来ていて、彼もPIAのチケットを予約しに来ていた。ひょんなことから今、我々の部屋に泊まっている変な女の子の話しをすると、その娘はDo Doでも手に負えなくて放り出されたらしい。さては佐々木くんがアルマンズーラの事を彼女に教えたのではないの、と冗談で抗議してやった。

 我々が度々出入りするので、PIAの職員たちは、またあの日本人が来た、という顔つきをしている。何と思われようと、切符を手にするまでは退かないぞ、と思い笑って応えることにしている。例のレターを支配人のカーン氏に直接渡したいといっところ、ボスは4時まで留守だという。そこで秘書の女性に預けて又4時頃来ることを告げる。

 時間潰しにみやげもの屋をみて歩くことにする。庄司が言っていたバーゲン・セール中の店を見つけ、比較的安く沢山のものを買う。結局150シルのマコンデの彫刻を含めて460シルも買ってしまった。その荷物を一時、店に預けてもう一度PIAへ行く。このしつこさが効を奏したのか、遂にチケットの再発行にこぎつける。秘書の女性が何度も「もし無くしたチケットが使われていたら、その分は後で支払ってもらいますからね」と念押しされ、2階にある支配人のカーン氏の部屋に通される。そこで同じような確認をされた後、意外とすんなりとOKサインがでる。やった!これで日本に帰れるぞ!と思わず日本語で叫んでしまう。しっかりとカーン氏と握手してその場を後にする。これでコネクションさえうまくいけば、日曜の深夜、飛行機に乗れるはずである。

 その切符の時間を確認してから、庄司は早速ガリサ行きのバスを探しにいく。またどこかから情報を仕入れてきて、興味を持ったらしい。どうしても行きたいというので、今回は別れて行動しようということになった。新しい場所へ行く際の庄司のパワーはもの凄く、ブッキング・オフィスでガリサ行きの詳細をこまめに調べたりしている。我々はその後、例のバーゲン屋へ戻り、荷物を引きとってパッキングの用意にとりかかった。カートン・ボックスを買ってきて、ガム・テープでみやげものを丁寧にラッピングしていったら、その数の多さに我ながら呆れてしまった。

 夜になると前田くんも戻ってきて3人で食事。今夜はエアー・チケットが手に入った余勢をかって、わたしが作るのをかってでる。料理することは最近ではあまり苦にならない。明日出発の庄司としばし別れの将棋を一番指して床につく。

 全く感心なことに、自分のしたいこととなるとパッと起きて出かけて行く。何と庄司は朝6時30分のバスに乗るために、寝過ごさずにしっかり出かけて行った。

 今日の予定はまずポスト・オフィスへ行って日本にいつ帰るのか電報を打つことから始まる。その後、前田くんを誘ってDo Doへ出かける。彼は初めてということで例の屋台のことを話しながらバスに乗り込む。Do Doに着くと住人は福原のおばさんしかおらず、みんな出払っていた。そこで預かってもらっていた私と庄司の荷物を引きとってくる。インドに寄る予定でセーターなど冬物の衣類をまとめておいたのだ。

 その荷物を半分前田くんにも持ってもらい、例の屋台で昼食をとる。その際、何げなく横にいた人にこのセーター買うかい?って聞いたのが運のつきで、思わぬ人だかりになってしまい、とうとう路上セールとなってしまった。どこから集まってきたのか分らないが、黒山の人だかりができてしまい、庄司のものも含め、一着15〜40シル程の値がついてしまい、全部売りさばいてしまった。庄司よ、すまん!

 結局トータル200シル程になってしまい思わぬハプニングであった。それでも後から人が追いかけてきて、もっと他のものはないのか、と迫られ、明日また荷物を持って来るからと言って逃げるようにして帰ってきた。まあ、どうせ持ってかえるには荷物になるだけのものだったので、正解だと庄司もきっと許してくれることだろう。それにしてもこんなに売れるとは意外な展開であった。その売る際のかけひきがなかなか面白く、何だか病みつきになりそうな気がした。本当に明日も荷物を持ってきて店を広げてやろうかなどと真剣に考えてしまった。

 ナイロビの市内に着いて、シティ・マーケットに立ち寄り、福原さんから聞いた“オクラ”を買い求める。ここのマーケットは日本人の買物客が多いのか、だいこん、にんじん、きゅうり、なす等は日本語でも通じる。ちなみに“オクラ”って日本語なのだろうか。前田くんと顔を見合わせて考えてしまう。

 その後、例のバーゲン屋へ前田くんを連れていく。彼はほんの少し、買物をする。そこでこの店の主人にカメラを買わないか、と持ちかける。すっかり商売人と化しており、売れるものは全て買ってもらおうという魂胆だ。半分本気で半分冗談で値段を交渉する。向こうもむしろそのやりとりを楽しんでいるようにみえる。一応、明日又来るからと言って、ホテルに戻る。すると2つ空いた我々の部屋のベッドにヨーロッパ人の若い女の子が二人、入ってきて、ちょっと緊張してしまう。結局夜になって、この見知らぬ外人たちと一泊することになってしまった。

 気が付くと同室の二人が起き出して着替えをしている最中だった。何の恥らいもなく、下着姿になって話し込んでいる。我々もそれを見ぬふりをして起き出し、早速朝食の準備をする。食事を作りながら今日やるべきことを一つ一つ思い浮かべる。

 最初にAfrican Heritageへ昨日の交渉しにでかける。しかし、マネジャーがいなかったので隣りのレンタ・カー屋へ顔を出してみる。ここも留守で用を足せない。仕方ないので例のバーゲン・ショップへ行って、またまた沢山買物をしてしまう。もうここではすっかり顔馴染みとなってしまい、気安く値引きしたり、一緒に写真を撮ったりして時間を潰していた。別の屋台のみやげもの屋のおっちゃんとも仲良くなり、マサイの木彫りの人形を格安の値段で買ってしまう。

 その荷物を前田くんに預けて、一足先にホテルに戻ってもらい、一人でデイヴィッドを訪ねる。オートバイをレンタルする件は彼が大丈夫だと言ったわりには時間がかかる。結局午後にならないと分らないということだった。その際、彼にポータブルのカセット・テーブを買わないか、と持ちかける。大いに興味を示し、値段の交渉をしてくる。最終的に400シルなら買うということになり、その金を工面してくるから又午後来てくれ、という。一旦、ホテルに戻って簡単に食事をし、午前中と同じコースへ行く。African Heritageはマネジャーはいたものの、実際の交渉は又明日ということになり、ペンディング。バイクを借りる件もデイヴィッドがおらず、免許がないという理由でお流れ。全く、手間ばかりかかって事が前に進まない。

 多少苛立ち気味で庄司に頼まれていた本(ヌバ族の写真集)を買いに本屋へ寄る。235シルもする高価なもので、無意識にディスカウントしてしまった。他人の買物なのに、高いと値切らないと気が済まない性分になっており、その結果230シルで手を打つことにする。その後、思い出したようにPIAへ行ってみる。いつもの女性(サロメ嬢)がいたが、ここも明日来い、という決り文句で帰されてしまう。

 再びレンタ・カー屋へデイヴィッドを訪ねに行く。はたして彼はいたが、金の準備がせきない、というのだ。ばかにしている、と思って少しきつい調子で話したら、今夜、金を揃えてお前の泊まっているアルマンズーラへいく、と言い出した。それでは7時に待っているから来い、と言って別れる。ちょっと値段のことが気になったので、その足で電気屋へ寄ってこのカセット、いくらで下取りしてもらえますか、と聞いてみる。店の主人曰く、400シル、マシン、オンリーということだった。自分のつけた値段は不当なものではなかったという自信をつけ帰ってきた。

 結局あんなに来ると言っていたデイヴィッドは訪れず、今夜は久しぶりに下の食堂で夕食をとる。昨日の二人連れはどこかへ旅立ち、かわりに地元のケニヤ人が夜遅く、寝るだけの目的で部屋に入ってきた。我々は夜中まで荷物の整理やパッキングをしていて、そのおじさんがいつ寝たのかも分らなかった。

 今日はいよいよエアー・ティケットがもらえる日だ。朝起きてすぐ、何日ぶりかの風呂に入る。水は冷たかったが清々しい朝であった。前田くんの作った朝飯をとり、少し小奇麗な格好をしてPIAまで出かける。内心また事情が変って延び延びになるのではないかとびくびくしていたが、遂に再発行のティケットを手にすることができた。思えば執念の手続きであった。それを作ってくれたサロメ嬢に十分お礼を言い、通い慣れたオフィスを後にする。何度も出発日とフライトを確かめながら歩く。これでやっと明後日の17日、午前2時の便でナイロビを発つことができる。庄司はまだ帰ってこないという不安はあったが、これで一応主な手続きは完了したという訳だ。その安堵感からまた一つどじをやってしまう。

 例によって行きつけのディスカウント屋へ行って店の主人と記念写真を撮ったり、銀行で両替をした後、African Heritage へ行く。マネジャーはいなかったが店の者に車で倉庫まで連れていってもらい、パッキングの最終確認をする。我々の荷物は全部で10個で、一つだけ10Kgを越えてしまい、郵便小包では無理ということになり、急きょ引き取ることになる。庄司が買った一番大きな瓶の包みである。持ってみると確かに重い。全て見届けて1500シルも払って運送の手続きも完了する。一つひとつ片付いていくことは気持ちがよい。その引き取った荷物を前田くんにも手伝ってもらい、ホテルまで運ぶ。途中、イクバルに寄って昼飯を食べる。その後ホテルへ戻って前田くんがDo Doへリュックを置きにいくというので、私も要らない荷物を売りにいこうと思い、一緒に出かける。その際、例の屋台のみやげもの屋に寄ったのがいけなかった。そこで路上セールを行ったところ、大勢の人が集まってしまった。調子に乗って靴だの鍵などを口上もよろしく売りさばこうとした。丁度3つの暗唱番号で開く合鍵チェーンを説明しようとしてそれまで肩に掛けていたカメラを右足の横に置き、「例えばカメラなどを盗まれないようにこうしてチェーンをかけておけば‥」と言ってカメラに手をかけようとした瞬間、既にカメラは無くなっていた。群衆の中を一陣の風が吹抜けたような気配がして、そのどろぼうは走り去った。全くアホといおうか、お見事といおうか、何度も同じ過ちを繰り返す自分が情けなくなった。それから前田くんと一緒にDo Doまで行ったのだが、用意していった売物はそのまま持ち帰ってきてしまった。ショックでとても売る気になどなれなかったからだ。その後、ホテルに戻ると庄司がカリサから帰っていて、一人ベッドで横になっていた。彼もカリサでグラスを吸っていたところを見つかって、捕まってしまい、何とか400シルを払って勘弁してもらったとか。それぞれの災難を報告してお互い慰め合う形になってしまった。夜は別の部屋に泊まっていた深沢くんともう一人の日本人女性が我々の部屋に遊びにきて、真島くんの話しや例のおかしな女の子、今吉さんとかいう子の話しで遅くまで話しこんでいった。


以下次号(最終回)へ。

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