TRAVEL ESSAY

ロドワーで出会った日本人旅行者、前田君。


ケニヤ旅行記(12)

1980年2月8日から3月18日まで

第12回 トルカナ族の町、ロドワーへ

 

 朝起きてみると、例によって外はどんより雲って肌寒い様子だ。庄司が珍しく早起きしてロドワー行きのトラックの時間を聞きにいっている。荷物を片付けて庄司の帰りを待っていたら、9時頃のトラックがあるからそれで行こうよ、と言って急いで戻ってきた。しかし、空はにわかにかきくもりパラパラと雨が降り出した。始めは小雨だったがそのうちどじゃぶりになってしまった。こちらにきてこんな雨が降ったのは初めてのことである。これでは今日の出発は無理だなと思ってまとめた荷物の上に腰かけて様子をうかがっていたら、どうやらスコールだったらしくすぐに雨は上がってしまった。9時のトラックはあきらめ、その次の10時の便に乗ることになった。ロッジのママさんたちに別れの挨拶をしにいくと、この時ばかりはやさしく応対してくれた。私としては多少名残り惜しい気持ちであった。

 キタレはいい所だったな、と思いながら2,3台のトラックの待つ方角へ向う。最初はどのトラックなのか見当がつかなかったが、中でも一番おんぼろの車と分って少々落胆した。そのくせ二人で100シルとやや高い運賃だ。客は荷物と一緒に荷台に相乗りするわけだが、とても窮屈でこれから先が思いやられるなと思った。

 案の定、走り出したトラックの揺れはものすごく、町を出るとすぐにも凸凹のダート道に変り、ほこりももの凄い。11時半頃出発して途中2度ばかりランチ・タイムとドライバーの都合で休んだ以外は延々10時間あまり、揺れとほこりの責苦にあって、頭のてっぺんから足のつま先までほっこりだらけとなった。頭からタオルをかぶっていたのだが、口の中までじゃりじゃりして気持ち悪い。

 トラックは山道にさしかかると急に止まってしまう。すると乗っている客たちは「キリマンジェロ!」と言ってどたどたトラックから降りていく。何のことやら訳のわからないまま、女性と子供だけ残して我々も一緒に降りる。どうやら坂の勾配が急なので、積荷を軽くして勢いをつけて登るためのようだ。この「キリマンジェロ!」という声が2、3度かかり、その都度みんな降り、歩いてトラックの後ろからついていく。又、ダートの平坦な道に入ると、“段差あり”という標識を過ぎるやいなやガクンと溝を越えるショックで体全体が激しく荷台に叩き付けられる。事前に察知して身構えておればよいのだが、何せ、まわりは砂煙りでまともに目など開けていられない状況である。車もスピードを緩めればよいのに、こちらの運転手は決して徐行ということをしない。しかしそのうちこの溝に来ると、標識をみている同乗のブワナが“アイヤ!アイヤ!”と言って知らせてくれるのでこの声が聞こえると、両手でトラックの幌の鉄柵につかまって腰を少し浮かせて身構えられるようになった。

 こんな砂ぼこりと激しい揺れとで荷物を持ってトラックを降りた時は体全体がじーんと鳴っているように思えた。ここがロドワーという所かと確認する間もないままに、着いた先の小さな食堂兼ホテルに入る。まず何よりも全身砂だらけの体を洗いたい一心で、ここの暑さや食料のことについては全く関心がなかった。  水は満足に出るものではなかったが、シャワーを浴びて出てきた時の爽快感に、思わず訳の分らないことを叫んでしまった。こちらへ来て何か嬉しいことや気持ちのいいことがあると、無条件で叫ぶことが癖になってしまったようだ。

 次の日はじわっとした暑さのせいで目を覚ますとまだ9時を過ぎた頃で、隣りのベッドをうかがうと庄司はもう起きてどこかへ外出していた。しばらくして戻ってきてさかんに暑い、暑いとわめいている。何やら近くでトゥルカナ族のおばさんからブレスレッド兼ナイフのような装飾品を買って持っている。「石川、トゥルカナ族はマサイより商売人だぜ」と言ってその品物を見せてくれる。それにしてもここロドワーの暑さといったら半端ではない。朝のこの時間でこの暑さなのだからこの先思いやられる。キタレで長袖を着て震えていたのが嘘のようだ。

 朝食もそこそこに町へ出て野菜を探しに行く。小さな店を見つけて入ったのだが、肝心の品物がない。わずかに干からびた種のような野菜?が並べてあるだけだ。次の店へ行ってもナッシング。この町には野菜はおろか食べ物が極端に不足しているということがこの時点で分った。

 野菜を手に入れることを諦めて、今度は今日の約束で大使館にパスポートの再発行の確認をするためにポスト・オフィスを探す。新装なった唯一立派な建物ですぐ見つかったが、電話は無線室でしか使えないとのことだった。二人のオペレータが長い時間をかけてコレクト・コールにて日本大使館につないでくれる。非常に聞き取りにくい回線だったが、聞き慣れた日本語で「パスポートは出ていますよ」という返事が返ってきた。バンザイ!ここでも訳の分らない奇声を発し、オペレータと握手をし、アサンテを連発して無線室を出る。これでエアー・チケットさえ戻ればいつでも日本へ帰れるぞと思うと記念すべきポスト・オフィスを写真に収めておこうとその全景を一枚撮って帰る。

 宿に戻ってベッドでゴロゴロしようと思ったのだが、暑くてとても寝るどころではない。一体気温は何度位あるのだろう。おそらく今まで体験した最高の気温になっているのではないだろうか。水は出ないのでコーラを買って渇きをいやすのだが、すぐに喉がかわいてしまう。人間、こう暑いと行動意欲が全くといってよいほどなくなることが、町の人々をみるまでもなく身をもって理解できた。

 コーラを買った際、店員にこの宿にお前たちのフレンドが泊まっている、と聞いてはてな?と思ったが、それはたまたまスーダンから陸路にてケニヤに入って来たという日本人のことであった。前田くんという早稲田の学生で、すっかりやつれて今にも倒れそうな顔色をしていた。その彼から水をもらって、取り合えず玄米茶を沸かす。(ここの宿の水道の蛇口には何と鍵がかかって飲めないようになっているのだ。)弱っている前田くんに野菜スープを食わせてやろうと庄司がどこからか、ほんの少しだけたまねぎとじゃがいもを仕入れてくる。庄司はこういう時は無条件でやさしい。前田くんは肝炎のような症状でここ何日もまともな食事をしていないという。3人で暑い中、ホットな食事をする。その際、コンソメ・スープと思って買ってきた缶詰が、開けてみるとカランガ・スープの素と分り、全く無駄となってしまった。大失敗である。飯を食い終っても食器を洗う水がない。それより何よりも暑さで動く意欲が湧かない。モト!モト!(暑い!暑い!)と叫ぶのみである。

 そのうち一人元気な庄司が又買物に出かける。やがて大きな手編の篭を持って帰ってくる。20シルでいい買物だったといっている。私も欲しくなったので場所を聞いて買いに行く。同じ物なのに今度は30シルだという。先ほど仲間が20シルで買ったものと同じじゃないか、と言っても頑として受け付けない。何度か押し問答の末、しかたなく27シルで買ってしまう。庄司はさすが買物がうまいなとこの時点では思ったのだが、その後部屋でボケーとしていたら、篭を売ったママともう一人の男が入ってきて、さっき庄司に売った篭は実はこの男のもので、お金を返すから戻してもらいたい。もしそれでも欲しいのならもう10シルよこせ、といってきた。冗談じゃない、それじゃ詐欺じゃないのか、と言って強く抗議したのだが、肝心の買った本人が仕方ないなどと言って8シルにしろなどとせこいことを言っている。結局そのくらいで折り合って彼らは帰っていき、結果的に私の方が安くついた買物であった。

 それにしてもトゥルカナ族は一度買物をすると次から次へと部屋の中まで入ってきて物を売りつけようとする。そのずうずうしさが何だか好きになれなかった。庄司はここへ来てからどうしてもトゥルカナ湖を見たいとその方面へ行く便を探している。しかし、なかなか見つからないらしく何度も別のトラックの所有者に交渉している。どうやらここから先は地元の人でもあまり足を向けない地帯らしい。

 やがて太陽が沈み、夕闇時ともなると、それまで木陰で休んでいた人々がそろそろと起き出し活動し始める。昼間の特に日向は全くといってよいほど人の気配がないのに、暗くなってから動き出すとは何と生産性の低い地方であろうか。我々も温いビールを片手に町を歩いてみる。この町は砂漠の中に作った町なのか下が全て砂地である。又特筆すべきことにハエの数がおびただしく、しかもしつこいのには辟易してしまった。粘液質の口や目のまわりにまとわりついて、ちょっと払ったくらいでは逃げようとしない。大変な思いをしてたどりついた所はどうやらあまりいい所ではないと思ってしまった。

 私は早くナイロビへ戻ってパスポートの手続きやエアー・チケットの手配をしなくてはという思いでいっぱいなのに、庄司は意地でもトゥルカナ湖行きを断念しようとせず、帰ろうなんてことはおくびにも出さない。まあ、明日になってもトラックが出ないようだったら、キタレまでの便は沢山出ているので引き返そうと話してみるつもりだ。

 昨夜はあんなに暑い中にもかかわらず、ありあわせの水で体も洗え、ぐっすり眠れてしまった。7時丁度にバッチリ起き、早速チャイを沸かし飲んではみるものの暑さはじわじわこみあげてくる。もう今日の時点では私の心は完全にトゥルカナ湖から離れている。しかし庄司は尚も湖行きを諦めてはおらず、またしてもトラックがないかどうかを確かめに出て行った。その執念たるやすごいものがある。しかし車が見つからなくてはどうしようもなく、お昼まで待っても便がない場合はキタレ行きで帰ろうというとこになった。スーダンから来た前田くんは少し元気になって、一足先に午前中のトラックに乗ってキタレへ向うという。が、このトラックが故障で動かず、結局彼はそのトラックに乗ることを諦め、我々の部屋に荷物を置きに戻ってきた。その間、コーラを飲んでは汗を流し、再び喉がかわいたのでコーラを飲むということを繰り返していた。

 バーの前のトラックの発車する場所へいって、ぼけっと只待っている時間が続いた。やっと3時半頃、「キタレ!キタレ!」という呼び声がしたのであわてて支度をしてこのトラックに3人で乗り込む。往きと違って我々を入れても7、8名しか乗せておらず、荷物もあまりなく余裕の乗車となった。途中2、3度点検のため停車したものの、車は順調に夜中の1時過ぎにキタレの町に着いてしまった。車を降りる際、それまでまとっていた寝袋を荷台に忘れてきたことに気付き、執念で追いかけて無事取り戻した。前田くんも一緒に懐かしいNew Kamburu Silent Lodgeへ向った。夜中の遅い時間にもかかわらずベンジャミンが起きてきてくれて、喜んで迎えてくれた。ツイン・ルームが一つ開いているからそこに3人で泊まってもよいということになり、なんと一人15シルでお湯の出るきれいなホテルに泊まることができた。


以下次号へ。

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