TRAVEL ESSAY

近代的な都市、ナイロビ市内。


ケニヤ旅行記(10)

1980年2月8日から3月18日まで

第10回 アルマンズーラ・ホテル

  バスが終点のナイロビ市内に入り、スピードを緩めたころ時計を見ると、丁度夜の8時前である。実に定刻通りである。アフリカのトランスポーテーションの時間はルーズでいい加減と聞いていたのだが、これまでのところ列車といい、バスといい、船に至るまで大体正確な時間に出発して着いている。バスの車掌が乗客一人ひとりにどこで降りるかを聞いて回っている。どうやら一々寄ってくれるようだ。我々はアンバダー・ホテルの前で降ろされる。そこからリバー・ロードの方へ入った所が我々が目指すアルマンズーラ・ホテルなのだ。途中2、3人に尋ねながら、夜のダウン・タウンの中心街に入っていく。ちょっと治安の悪そうな場所柄である。その一角に、一階が割りと大きな食堂になっているAL MANZULAの看板を発見。着いてすぐに今夜泊まれるかどうか確認すると、2人部屋なら1人20シル、4人部屋だと15シルだと言う。今晩だけ高い方の2人部屋に泊まって、様子をみてから安い方にしようという庄司のアイデアでNo.7の2人部屋をオーダーする。案内されて部屋の鍵を合わせるがこれがなかなか開かない。従業員を呼んでも鍵が壊れていて、だめだ。今度は支配人を連れてきて2人がかりで調べている。しばらくしても開きそうもないので、一旦、鍵の修理をしている間、別の部屋に荷物を置いて、下の食堂で食事をすることにした。ここではじめてムカティ・ヤ・マヤイという野菜入りのケニヤ風お好み焼きを食べる。これがばかうまである。チャイも一緒に注文したのだが、ナイロビのチャイは一段とうまい。思わず2杯目をたのんでしまった。こんな食堂が下にあるホテルならずっといてもいいな、と二人して話していた。

 やっと部屋の鍵が直って入ってみると、何と窓が入口のところに一つあるだけで、奥は3方厚い壁である。こりゃ、暑そうだと思ったが、今晩だけここで我慢することにする。シャワーを浴びにいったが、ここの水は珍しく冷たい水で、なるほどナイロビ(ナイロビとは確か聖なる冷たい水という意味)だなと思ってしまった。その後、まるで監獄のような部屋に戻って何もせずにベッドに横たわっていたらそのまま寝てしまったようだ。

 アルマンズーラ・ホテルは目下のところナイロビで一番安いというだけあって、うるさいところだ。下の大衆食堂が夜遅くまでやっていて、その騒ぎがもろ上の部屋に流れてくるからだ。朝は食堂で働く従業員の歓声がやかましく、そのせいか、疲れていたにもかかわらず、7時前には目がさめてしまった。それに、今日はいろいろな機関へ行って手続きをしなくてはならないので、そのことも気になって早い起床となってしまった。例によって朝寝坊の庄司を8時すぎに無理やり起こす。この喧噪の中でもいびきをかいていられるほど、タフな奴である。

 先ず、ポスト・オフィスへ行ってDo Doへ電話をする。最初、要領が悪く、50セント損をしてしまう。そちらへこれから向います、と言ってポスト・オフィスの前から7番のバスに乗って、キリマニというところで降りる。まっさきに例の屋台へ入ってチャイとスクランブル・エッグ&ブレッドをたのむ。うまい!この屋台へ来ると何だか気持ちが和んでくる。二度目ということと、近くににDo Doのたまり場があるということで自然と地元意識が働いてしまうのだろう。

 機嫌よく食事をしていると、ラムで会った日本人の夫婦が入ってきた。旦那の方が歯を抜いたとかで痛そうにしている。これからDo Doへ行く途中だと言うと、彼らも今、Do Doに居候しているとのこと。そんな話しをしていると、屋台のおやじが、ジャンボ!と言って声をかけてくれる。どうやら我々を覚えていたようだ。嬉しくなってとびついて握手する。そこでたらふく食事をとった後、懐かしのDo Doへ行く。いろんな人がいる。小野さんともう一人の元気のよい女性もいる。佐々木くんという人を紹介されると、確かにまだあどけなさの残る青年だが、旅行にかけては相当のベテランという風情だ。もう一人旅行の達人のような人(長谷部さん)がいて、みんなしてコーヒーなど飲みながらラムでの出来事を報告する。阿部さんが今、ラムにいると伝えたら、みんな彼のことはよく知っており驚いていた。阿部さんは概して人気者で、佐々木くんなどは、それじゃラムへ行こうかななどと言っていた。こちらで興味ある話しはナイロビまで一緒だった宮沢さんのことで、彼は根性の人で、例のタクシーに置き忘れた靴を取り戻そうといまだにナイロビのヒルトンの前でタクシーの運ちゃんたちにかみついているとのことだった。ちょっと変った人という印象だったが、相当な人らしい。そんな話しをしていたらひょっこり当人が現れる。久しぶりの再会。お互いに失敗談を語り合う。

  その宮沢さんともう一人のベテラン旅行者と佐々木くんを誘って車でナイロビまで出かける。私の目的の第一は先ず、パスポートの再発行なのだ。とり急ぎ、メイン・ストリートのケニヤッタ・アベニューの裏手にある日本大使館へ行く。時間は10時30分を過ぎていたのだが、丁度係りの人が留守で又午後来てくれ、との応対であった。仕方がないので次にバークレー銀行へ行き、既に使った分のトラベラーズ・チェックのナンバーを確認して、アメックスへ行く。そこで再発行の書類を作成していざ手続きかと思いきや、今日は東京支社への確認ができないとのこと。そんなばかな、そのためのトラベラーズ・チェックじゃないの、と詰め寄ったのだがこちらの英語力のせいか思うように話しが進まない。どうしてもテレックスを打ちたければ大使館へ行って頼め、という。それじゃ午後から日本大使館へ行って、日本のアメックス支社へ連絡してもらってからまた来ますといってしぶしぶその場を後にする。

 昼近くになるとありと全る機関が長いランチ・タイムに入ってしまうため、一旦ホテルに戻って待機してから出かける。その際、2人部屋だったのをもっと安い4人部屋に変えてもらう。2時をまわった頃、再び日本大使館へ行ってパスポートの再発行の手続きをする。ここの日本人の役人は何だか感じが悪いやつで、またばかな旅行者がきたという腹の底がみえみえの対応ぶりだった。案の定、パスポートの再発行はするが、トラベラーズ・チェックのテレックスは打ってくれないとの回答であった。それでは自分たちでテレックスは打つからその確認だけはしてくれと頼み込んでその場を後にした。

 2時半に佐々木くんと待ち合わせていたマーケットの前へいき、車でポスト・オフィスまで連れていってもらい、自分たちでテレックスを打つことにする。アメックスの東京支店へのテレックス代は140シルと高かったが、これで一応TCの再発行は問題なさそうだ。残る大事な手続きはエアー・チケットの再発行だ。今度はモイ・アベニューにあるPIAのオフィスまで連れていってくれる。佐々木くんは実に頼りになる人で、こちらの無理な注文にひとつひとつ丁寧に応じてくれる。おそらく彼なくしてはここまで素早く諸々の手続きを完了できなかったなと思い、流暢な英語で交渉してくれている彼の後ろ姿に思わず合掌する。マネージャーがいないので何とも言えないがおそらく再発行できるでしょう、とのこと。一応全ての工程を終えて、佐々木くんに丁重にお礼を言って別れる。

 その後、近くの本屋へ行ってミシュランの3枚組の地図を物色していたら、偶然馬場さんに会う。ラムの事情を説明したり、知り合いの日本人の消息を伝えたりしばらく立ち話しをしてしまう。もう一軒の本屋でミシュランの153、154、155を買ってホテルに戻り、同室の日本人旅行者2人とインドの話しをする。この学生上がりの若者2人は、インド経由でケニヤに入ってきたとかで、かつてインドに長く滞在していた庄司とあそこがどうのこうのと一晩中話していた。お互いに口を揃えてインド人がいかにバカであるかをいろいろな例を挙げては指摘し合っていた。例えば、インド人は水を手で飲む時、まるめて飲めばいいのに、手を広げて飲むから少ししか飲めない、とかありと全ゆる罵詈雑言を並べたててインド人の悪口を言っていた。そのくせインドという国は素晴らしい国でもう一度行ってみたいという意見では一致していた。その晩はそんなインドの話しで遅くまで盛り上がってしまった。

   翌日、午前中からやるべきことが多いので一つひとつ予定をたてる。先ず日本大使館へ行って昨日の手続きの確認をしにいく。ここでもまた横柄な対応ぶりに腹を立ててしまう。概して仕事はあまり増やしたくないという態度である。それでもパスポートが出来るまでは我慢しなくては、と思い事務的に対応し、TCのナンバーを確認だけして早々に立ち去る。次に実に立派なビルにあるセントラル・バンクに外貨持ち込み申請書の書き換えに出かける。結局ここでもTCが戻った時点で金額を記入してくれとのことで後日回し。とにかくこの国の申請事務は一回で終ることはない。わかってはいるものの、きちんと予定をたてて行動することが無意味に思えてくる。しかしここでへこたれてはならずと、次は保険会社へ盗難レポートを提出しにいく。珍しくここだけは手続きがスムーズにいって一回でOKということになった。その勢いで、無駄だとは思ったがアメックスへ行ってもう一度テレックスでナンバーを確認できないかと聞いてみる。すると何とお金さえ払えばやってやるというではないか。昨日はあんなに頼んでも駄目だなんて言ったくせに全く気まぐれな奴だ。そこで自分たちで打ったテレックスが少々不安だったのでその場で頼んでその結果が午後3時半頃分るとの返事を何度も確認して再度来社することにする。

 一旦ホテルに戻り、下の食堂で昼食をとる。2時にヤミ金交換のため待ち合わせしている佐々木くんと会い、ジュエリー・ショップへと向う。そこで庄司が200ドルを184シルで換金し、もう一度アメックスへいってみる。すると何と私の待望のチェック・ナンバーは返信されており、そのうち今日は200ドルだけTCを切ってあげるという。あー、よかったと長いため息を一つつく。これでTCに関しては一応めどがついた訳だ。あとは残りの600ドルを明後日にもらえばよいのだ。TCさえ返ってくればあとはPIAのエアー・チケットとパスポートだけである。

 一安心して庄司を誘って久しぶりのナイロビの街を闊歩してみる。途中のみやげもの屋でばったり宮沢さんに会う。例の靴の件、聞いてみると、何と運転手をつきとめて、取り戻したそうだ。全く見上げた根性である。そんなどけちのような人なのに、泊まっているホテルは680(シックスエイティ)という一流のところにずっと滞在している。退屈なのでいつでも遊びに来て下さい、と言い残して彼はホテルへ戻っていった。一体、この人何の目的でケニヤくんだりまで来ているのだろう、と庄司と専ら推理合戦となった。  その後、日本からの手紙の受け取り場所となっているJapan Information Centerのあるオフィスへ寄ってみる。すると私宛てに3通の手紙が届いていた。会社からのものと阿部からのものと家からのものだった。それぞれ懐かしい思いで読む。一瞬、日本の光景が思い出され、こんな所でぶらぶらしている自分がひどく罪深い者に思えてくる。当初の予定では今ごろはケニヤを発って、インドへ向っていたはずである。しかしこれも運命の成せる術、予定通りにいかないのが自分達の選んだ旅行なのだと思い、しばらくは日本への思いを巡らせていた。

 途中、ポイントとなる店へ寄って大体ナイロビの街の地理を頭に入れた後、ホテルへ戻って庄司と例によって将棋タイム。今日はびどく調子が悪く立て続けに4連敗。ふて寝して日本へ手紙でも書こうかと思っていると、庄司と同室の二人はまたインドの話しをしている。彼らの誘いで一階上に泊まっている日本人の部屋へ遊びに行く。もうずっと長く滞在しているジャズのミュージシャンでアルマンズーラの主のような人だった。そこでは専ら我々の盗難の話しで持ちきりで、みんな大なり小なりの盗難事件に遭っていた。そのうちの一人は石で頭を打たれ、パスポートとTCをもっていかれ、TCは既に使われて戻ってこなかったといっていた。そんな体験談ばかり続き、夜遅くまでこの部屋で歓談する。

 翌朝、早く起きて同室の二人と一緒に予防注射を打ちに行こうということになった。パスポートにあったバクシネーションの証明も無くしてしまったからだ。庄司は何故か注射をひどく嫌って一人部屋に残ると言っている。注射が苦手とはガキみたいな奴だと馬鹿にしても頑としてきかない。そこで3人で保健所のような所へ行ってイエロー・フィーバーの注射をする。ものすごく痛かった。これでは庄司が後込みするのも無理ないと思った。 その足でポスト・オフィスまで手紙を出しに行く。途中、見知らぬ黒人に声をかけられる。この青年、実は例のレンタ・カー屋の社員で、私のことをしっかり覚えていてくれて、あー、と言って思わず握手する。そういえばこちらではこういうケースがよくあって、不思議に思っていたのだが、よく考えてみると、黒人社会の中で、日本人の、しかも変な二人ずれは彼らからすれば印象深く思えるのだろう。しかし、我々からすれば地元の人はみんな同じ黒人に見え、とても個々の違いを見分けるまでには至っていない。そこでしばしばあんた誰だっけ、というやりとりが続くのである。さてこのレンタ・カー屋さんが親切な人で、一緒にマーケットまで案内してくれ、ポスト・オフィスへも行ってくれる。盗難の話しをしたら、ラムのポリスに知り合いがいるから問い合わせてやるといってくれる。全て用事が済んだので彼を誘ってスナックでコーラをおごってやる。その際、丁度昨日、手紙の中に入っていた自分とオートバイの写真を彼にみせてやる。この時、不図バイクを借りて動いたら面白いなと思い、ナイロビでオートバイはレンタルしているのか、と聞いてみる。すると、Motor CycleはNo Licenseで借りられ、しかもVery cheapだという。そこで、明日、彼(ディビット)のオフィスへその件で出かける約束をして別れる。

 午後から庄司と二人して予防接種のカードをもらいに保健所までいく。その後、PIAへチケットの再発行の確認をしに出かける。この間の話しとは大違いでまだ再発行の件ははっきりしておらず、それが分るのは遅くとも10日頃だという。大丈夫なのだろうか、少々不安になる。念を押して11日にもう一度来ると言って立ち去る。その後、暇ができたので680に泊まっている宮沢さんを訪ねに行くが、彼は外出していて会えなかった。そこで今夜DoDoへ行って騒ぐ予定になっていたのを思い出し、電話をかけて確認しようと思い、TEL BOXまでいくと、丁度そこに長谷部氏がいた。一緒にビールでも飲みながら宮沢さんを待っていたのだが、結局戻って来なかったので3人で買物をしてDo Doへ向うことにした。

 Do Doには例によって小野さん、福原さん、ラムの夫婦、佐々木くんがいて、我々3人と一緒に夕食にしようということになった。佐々木くんの大奮闘でそれはそれはおいしい食事にありつけた。食後の一服(グラス)を調達しに、庄司と佐々木くんが買いに出かける。その間、しばらく仮眠。戻ってきてみんなで精製したら何とお茶の缶で3缶分にもなってしまった。その後、そのあまりあるグラスを吸ってしばらくぼーと過ごした。

   昨日の夜はその後、佐々木くんの誘いでナイロビのディスコへ行ったりバーで飲んだりして遊んだ。結局庄司とは別々の朝帰りとなってしまい、同室の2人より期せずして顔を合わせ、“女ですか?”って尋ねられてしまう。少し時間が早かったが、このホテルではまともに風呂に入れないので石鹸やシャンプーを持って宮沢さんの泊まっている680へ風呂を借りに行く。本人は昨日はしご酒をしたらしく、疲れて寝ていた。そこで荷物をこに置き、アメックスとレンタ・カー屋へ寄ってみる。どちらも用が立たず毎度のことながらあきれてしまう。680へ戻って、まだ宮沢さんが寝ているにもかかわらず、勝手に風呂に入ってしまう。この辺のずうずうしさはこの旅行で培ったものだ。しばらくぶりの湯舟の風呂、しかもお湯に感動してしまう。そうこうしているうちに、宮沢さんが笑って起きてきてしまい、無礼を詫びる。着替えをしていると、そんな私を何故か好いてくれていて、下のレストランで食事をご馳走しましょうと言い出した。悪いことをしてしまったなと思いながらも、心ではラッキーと思ってしまった。

 宮沢さんは今日の深夜、ナイロビを発つ予定でさかんに石川さんにはお世話になったと言ってくれた。最初の飛行機の中での対応が良かったのか、最後までこの私をベテラン旅行者と思い込んでおられる。短い間にあったいろいろな旅の出来事を話しながら別れを惜しむ。何度も何度もお礼を言って、今晩必ず見送りに行きますからといって握手までして別れる。ホテルの玄関を風呂道具だけ持って出て行く姿が我ながら少し滑稽だった。

 アルマンズーラに戻ると庄司がベットの上でぐったりして休んでいた。宮沢さんのところへ行って風呂と飯をご馳走になったと報告したら、地たんだ踏んで悔しがっていた。昼過ぎになってひょっこり佐々木くんが来て昨日は大丈夫でしたかと尋ねられる。その際、たまたまこのホテルに泊まっている日本人を訪ねてきた真島くんに出っくわす。この人もすっかりやつれ、小汚い格好に変身しており、すっかりアフリカのフリーの旅行者になりきっていた。しかしどこかに頼りなさが残っており、それを同室の二人組が鋭く指摘して、「この人、きっとどろぼうに会うか病気するかのどちらかですよ」と後で予言していた。(そういえば成田を出る際にも同じことを言っていた人がいたことを思い出した。)

 しばらく我々の部屋に残っていた真島くんと庄司が将棋をしている間、アメリカ人が一人やってきてウガンダでカメラをとられてしまったのでコダックのフィルムを買ってくれないかと交渉にきた。確かにカメラがなくてはフィルムは宝の持ちぐされである。しかしこっちも盗難に遭っていて、しかもカメラだけでなく何から何までもっていかれたのだと説明してやると少し拍子抜けした表情で同情してくれる。まあ同病相哀れむだと思い、一個だけ買ってやる。

 今日は同じホテルにいる日本人のミュージシャン(アフリカン・ヘリティジ)のコンサートがある日で、その人にも会って挨拶をする。夕食の時間になったので下へ行って注文していると、大賀くんも食べに来ている。ここではいろんな懐かしい人に再会する。そういえばラムで一緒だったスイス人にもここで会う。要するにここは貧乏旅行者のたまり場なのだ。もうひとつ、イクバル・ホテルという安ホテルがあると聞いていたが、我々を含め、日本人の多くはこのアルマンズーラかイクバルに泊まっているようだ。

 夜は例のコンサートに行くことになっていたので庄司を誘ったのだが、ちょっと体調が悪いのか、あの乗りのいい庄司くんがぐったりしていて動こうとしない。そこへ真島くんが飛び込んできて、Do Doで宮沢さんの送別パーティがあるから知らせにきたといって何故か一人焦っている。宮沢さんにはお世話になったのでコンサートをキャンセルしてDo Doへ向った。しかしそこでは別にパーティという雰囲気ではなく、草でも吸わなければとても白けてしまうようなものだった。どうやら真島くんの一人相撲だったらしい。そんな時の草の効きかたは早い。朦朧としたまま車で空港まで宮沢さんを見送りにいく。

その途中の高速道路の明りがバチバチと輝いて見え、それは美しい光景だった。結局ホテルに戻ったのは深夜1時を過ぎた頃になってしまった。


以下次号へ。

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