TRAVEL ESSAY

イスラムの都市、モンバサ。


ケニヤ旅行記(9)

1980年2月8日から3月18日まで

第9回 再びモンバサへ

  ラム出発の朝は早い時間なので、昨日の内にSEAMEN BUSのオフィスでブッキングを済ましておく。船着き場へいって荷物を降ろしていると、阿部氏が見送りに来てくれた。「早いですね」というと、「わしゃ、年寄りだからのう」と言って笑っていた。何だか地元の人のような風貌である。丁重にお礼を言って別れる。思い出深いラムともおさらばだ、と思うと短い滞在が絵空事のようだ。おそらくここでの体験は一生忘れないであろう。

 船で30分ほど乗りついで、その後はバスで一気にモンバサまで下る予定である。今日泊まるホテルも阿部さんから聞いたハイドロ・ホテルというところに決めている。バスのターミナルで荷物を積んで出発を待っていると、そこへ乗り込んできたのは何とラムの2人組の警官の一人、アブディだった。「あれ、お前こんな所で何してんだ、どこへ行くんだ。」と尋ねるとWATIというところへ行くという。よく事情が飲み込めないまま、一緒のバスで出発。SEAMENのバスは行きに乗ったLamyバスよりゆったりしたスピードで走り出す。来る時は夜だったので、まわりの風景が全然分らなかったが、途中止まってみんなで降りて綱引きをしたところなどが再確認できた。アブディはよくみると女連れで、どうやら彼女(女房?)を連れて別の任地へ赴くようだ。案の定、彼と連合いは途中で沢山の荷物と共にバスを降りていった。何だ、あんなに一生懸命やるといっていた私の荷物の捜索はどうなってしまったんだ、って言って追いかけてやろうかなどと思ったのだが、まあ、これでますます荷物が戻る可能性はなくなったなと諦めて手を振って見送った。

 バスは7時半に出発して12時45分にマリンディに着く。一旦、ここで昼食。出発時間が告げれれないので、急いでそばのレストランで食事をとる。ここには別の日本人が来ていて、のんびりと話しかけてくる。ンボガとチャパティとチャイを頼んで、おもてのバスの動向を窺いながらの食事である。庄司は念願のンボガを口にできてご機嫌で、自ら調理場へ入っていって大盛りにしてもらって2杯も食べていた。そのおかげでまたバスに乗り遅れるところだった。

 マリンディからはバスは舗装された道をひたすらモンバサを目指して突っ走る。途中何度かポリスの検問を受ける。KILIFという町を経由して、一度フェリーを乗り継いでモンバサに着いたのは4時近くだった。降りて阿部氏から聞いたハイドロ・ホテルを探す。割りとわかりにくい場所にあり、見つけるのに苦労した。すぐに部屋はあるか、と尋ねると2人部屋は一杯で4人部屋のベットが2つ空いているとのことだった。合い部屋はいやだ、といったところ他にはないということで、仕方なくオーケーする。部屋へ案内されるとベットは4つあったがそのうちの3つが使われているようだ。ボーイを呼んで尋ねると一人は今夜出発するからno problem だということだった。とりあえず荷物を降ろしてベッドの上を片付けていたら、同室のフィリピン人の男が入ってきた。人の良さそうな小柄な人で、船乗りだという。仕事でモンバサまで来たのだが、親会社がサラリーを払ってくれないので、ここでずっと金の支払いを待っているという。何てのんびりした対応なのだろう。

 庄司と入れ換えにシャワーを浴びる。ここの水は夜6時前に止まってしまうとのことで、水の出が極端に悪かった。ほこりだらけになった体を洗う時と、思わぬおいしい料理に巡りあえた時が旅の最高の時間に思える。さっぱりした気分で部屋に戻り、このフィリピン人とケニヤの国の話しなどをする。日本の横浜にも立ち寄ったことのあるというこの人のケニヤ観はいわゆるのんびりしたイメージではない。仕事になるかならないかという視点である。ヨーロッパ人がリゾートや観光目的でアフリカへ来るのと違って、彼のようなアジア人のもつアフリカ観は直接生活と結びついている。いみじくも彼の結論は仕事でなくてはとてもこんなところまではやって来ないということだった。

 私のベットの横にある荷物は今日出発する予定のドイツ人のものだという。しかし、持主は一向に取りに現れない。ようやく姿を見せたと思ったら、何やらベッドの周りを探している。20シリング札がない、といってさかんに荷物や周りを点検している。いやな奴だなと思ったが無視していると、やっと諦めて重い荷物をかかえて夜行バスを乗りに出ていった。もう一人の南アフリカから来ている住人は夜の9時になるというのにまだ現れない。どうせまたどこかで遊んでいるのだろう、と自分の家族のことのようにフィリピン人が評す。結局我々が電気を消して眠りにつくまでとうとう姿を見せなかった。

 合い部屋というのは寝にくいものだと思っていたが、何のことはないぐっすり寝てしまい朝気がついて起きてみると4人目の住人が寝ていた。フィリピン人が一番早く起きており、私が2番目、その後、だいぶ間があってから庄司、南アフリカと続く。大柄で髭をたくわえた南アフリカ(白人)に挨拶をする。この人も実に穏やかな物腰で好感がもてた。顔を洗おうと思って蛇口をひねったところ水が出ない。結局朝のうちは外に出るまで水は出なかった。

 庄司を誘って朝早く、モンバサの町を散歩することにした。まず明日のバスを決めるためMonbasa Peugeot ServiceのBooking Officeを探す。そこで時刻表を調べると丁度いい時間の便がない。今日中にナイロビへ着くには昼頃のKenya Bus ServiceかCoast Bus Serviceを利用した方がよいということになり、今度は両方のBooking Officeを探す。結局、Coast Busの13時のバスの切符を買う。その後、時間があったのでマーケットのそばを通ってハーバーの方角へ行ってみることにする。通りすがりのマーケットにはにんじん、じゃがいも、トマト、きゃべつ、たまねぎの他レモン、マンゴ、パイナップル、パパイヤ、ココナッツ、バナナ等の野菜、果物が数多く並べられていた。ハーバーへ行く道々にはみやげもの屋が沢山あったので、一つひとつのぞいていく。そのうち飽きてすっとばしていこうとすると、庄司はまだ前の店でねばっている。朝、何も食べていなかったので途中のコーヒー・ショップへ無理やり庄司をひっぱり込む。ケニヤに入って店で飲む初めてのコーヒー。実にうまい!チャイもいいがケニヤのコーヒーの何とおいしいことか。少し気持ちが落ち着いてくる。

 港へ向う商店街は比較的長い距離にわたって続いている。その道々には屋台のみやげもの屋がうじゃうじゃあって、「ヘイ、マスター、オンリー・テン・シリング」とか「カモン、マイ・フレンド、プリーズ」などと言って必死に客を取り合っている。そうした手合いの者にいささかうんざりして急ぎ足で通りすぎようとすると、庄司は後ろの方でよせばいいのにその相手をしている。そして、「もう一日ここにいようぜ」なんてのんきなことを言っている。貴重品だけを入れたナップサックの重みが私をひどく苛立たせる。もうハーバー見物もいいからホテルに戻って荷物の整理でもしたい気分である。この男と一緒に回っていると、お互いのペースの違いを感じてしまう。庄司は概して後のことはあまり考えずに興味のあることにはとことんのめり込んでいく。それに反してこの私は臆病な性格なのか次の行程が気になってならない。そうした違いのもと、もめごとがあるのだが、これまでのところ、庄司のペースで行程が決められている。その時はちくしょう、と思ってもそれが正解の場合がほとんどなのだ。只、この時ばかりはさすがに疲れがはげしく、時間もなくなってきたので結局ハーバー見物を諦めて、バスで中心街まで戻ることにした。

庄司もちょっと不機嫌になったのが分ったので、市街地のみやげもの屋をもう少しだけ回ることにした。何軒か見て回った後、たまたま一軒の小奇麗な店で私の欲しかったアフリカン・ドラムを見つけた。何てことのない太鼓だったが、これがひどく気に入ってしまった。勝手なものでこれを買いたいということになると、今日の出発は一日伸ばさなくてはならない。ここでも庄司の勝ちである。店の者にもう一度来るからと告げて急いでバスの予約を変えにいく。また、今日は土曜日なので銀行が午前中しか開いていない。あわてて近くの銀行を探し、庄司のトラベラーズ・チェックを現金化し、ホテルのそばのレストランで食事をする。ビーン・スープに何と生野菜のサラダがあって、十分に満足のできる食事だった。落ち着いた気分になってホテルに戻り、恒例の将棋タイム。例の太鼓の店はアフリカ時間により午後は2時からでないとオープンしないとのことだったので時間つぶしに3番打つ。1勝2敗。同室のフィリピン人も訳がわからないのにそばで観戦している。奴も暇なのだ。それが終って、しばらく昼寝をしてから例の店を訪ねた。その店は地下にマコンデという黒炭の彫刻のギャラリーがあり、庄司はこれに夢中になってしまった。1000シルもする大きな彫刻品を本気で欲しいなんて言い出している。私は例のアフリカン・ドラムの音の調整はどうするのか知りたかったので、店員をつかまえて尋ねると専門の職人が出てきて奥の仕事場で実際に縄をはってくれた。それを見ながら太鼓をポンポンとたたいていたら、何だかとてもハッピーな気分になってしまった。アフリカへきて目下、パスポートもお金もカメラもないという身分を忘れてしばらくはこのアフリカン・ドラムの響きに魅せられた一瞬だった。

  その後、店のものと値段の交渉に入る。1個175シルが正価なのだが、それを最初150シルにしろと言った。それはだめで結局1個165シルまでならまけてやるとのことだった。2個買うからもう少しまけろというと、もうそれ以上は絶対だめだといってきた。何度か押し問答があった後、結局2個330シルと船便で送った場合の運賃込みで493シルのところを490シルということで笑いながら握手して交渉成立。その輸送方法について若干不安が残ったので、何度も確認したところ、店の奥の部屋まで連れていってくれて実際にパッキングするところを見せてくれた。

 親切な対応の店を後にして、通りすがりのCastle Hotelの下のカフェ・テラスに入る。オレンジ・ファンタとビールを注文したところ、この国へきて初めて水の中に氷が入っていた。その後も時間があったので街をぶらぶらしたら、大体モンバサの街の様子が分ってきた。この街はモスクが一番立派な建物だ。マーケットは海のものや畑のものも豊富でどこよりも活気があった。しかし、ナイロビに比べると商売人が多く、なかなか値引きには応じてくれない店が多かった。

 ホテルへ戻って先ず、シャワーの水が出るかどうか確認したところ、細々ではあるが水が出る。しめたと思い、あわてて洗面用具を持ってシャワー室へ。体を洗った後、シャンプーを頭にかけて洗い出すと、その途中で水が出なくなってしまった。しばらく様子をうかがっていたのだが、埒があかないので半分洗い残したまま部屋に戻ってそのことを庄司に告げる。部屋の住人、フィリピン人は笑ってそれを聞いていた。

 モンバサに着いて2日目の朝は実にのんびりしたものになった。バスの出発時間が12時半なので、それまでここにいてボケっと時間をつぶそうと思ったからだ。例によって朝起きると水が出ない。庄司が起き出す頃までにはほんの僅か出るようになった。その貴重な水で歯をみがき、顔を洗う。朝食は昨日マーケットで買ってきたサモサとロール・パン。そして又しても飽きずに将棋を2番指す。1勝1敗。その後庄司は一人で買物に出かけていく。私は荷物の整理や今後の予定の確認をして部屋の中で過ごす。同室の寝坊ものの“南アフリカ”がこの頃起きてきて話しをする。実に穏やかな話し方でとつとつとした英語なのでよく理解できる。彼の国は例の人種隔離(アパルトヘイト)の問題があってフリーの旅行者にはいろいろな制限があるのであまり勧められない、といっていた。

 カセットを聞きながらボケっとしていたら庄司が帰ってくる。沢山の買物とともに、コンゴのアンティーク・ペルソナ2つとおまけ一個、それに何とミシュランの地図、154、155を見つけて買ってきやがった。ちくしょう、金のある奴はいいなと思いながらも、一緒にその地図を広げてみる。ふたつ合わせてみると、ケニヤ全土をはじめ東アフリカ一帯のロード・マップが実に詳しく載っている。途中から“南アフリカ”も参加してきて、地図上の国々の名前をたどりながら、白人と多くの黒人の小数民族との対立の話しをしてくれる。彼の立場はいわゆるアフリカーナのような過激なものではなく、何とか早く紛争が収まってくれればいいなという祈願がこもっているような話しぶりだった。こうしてみると、アフリカという地域は実に多様の民族と広大な大地をもっている。エネルギッシュではあるが、その歴史には数々の列強との抗争があって、常に弾圧によって支配されてきた。陽気な国民性からはそういった暗いイメージは伝わってこないが、アフリカの置かれている現状は依然として前途多難な問題がありそうである。

 そんな真面目な話しをしていたら、そろそろ出発の時間が迫ってきて、我々は荷物をまとめ、同室の住人たちに別れを告げ、Hydro Hotelを後にする。昨日と同じところで簡単な昼食をとってから、コースト・バスのターミナルまでいく。そこで待っていたバスは我々の想像をはるかに越えた豪華なバスで、リクライニングはあるはあしもたれはあるはの立派なものだった。しかもナイロビまでノン・ストップの直行便である。これは久しぶりに快適な旅ができるぞ、と期待して乗り込んだ。

 乗り心地は良かったものの、走り出してからずっと運転手の趣味で訳の分らないイスラム音楽が車内に流れ、始めはあまり気にならなかったのだが、モンバサを出たのが昼の1時でナイロビに着いたのが夜の8時だったが、その間、一時も休まずにこの音楽が流れっぱなしだったのにはいささか閉口してしまった。それと大事なことがひとつあって、ナイロビを目指して走る際は、どちら側の席に座れるかということである。MBA→NBIの昼間の便は、強い日光の当らない右側がベストで、我々はたまたま右側の席に当ったが、左側の席の乗客はカーテンをしてもあまり効果のない日差しに終始悩まされていたからだ。

 バスは途中、VOIというところとガソリン・スタンドで給油するために止まった以外は走りっぱなしで、列車より速いのではないかと思えるほどのスピードで飛ばす。道路もほとんどが舗装されていて、心配していた激しい揺れはなかった。VOIを過ぎるあたりからツァボ・ナショナル・パークが右手に広がる見当である。そこでバスの窓からずっと目をこらして外をうかがっていたのだが、動物なんて全く見当らない。わずかに放牧の牛の群を数回目撃しただけで、インパラはおろか、キリンやシマウマましてやライオン、象といったお目当ての動物はとうとう全然見ることができなかった。


以下次号へ。

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