TRAVEL ESSAY

モンバサ行きの夜行列車の中で

相変わらず長い文章ですいません!
8月24日更新

ケニヤ旅行記(6)

1980年2月8日から3月18日まで

第6回 モンバサまで

 マガディ発のバスは朝6時と7時半の2本だけと聞いていたので、6時ちょっと前に起きて、身支度をして7時半のバスで帰ることにした。帰りぎわ、隣りのブワナにチャイをごちそうしてもらい、その味が口から消えないうちに、別れをいってバスに乗った。

 例のおんぼろバスは、我々の他、沢山のマサイを乗せて珍しく定刻にナイロビへと向って走り出した。マサイは例によってどこからともなくバスを見つけては乗ってきて、とんでもないところで降りていく。そんな彼らの行動に自然と興味が湧いてくる。一体彼らはどんな場所で生活しているのだろうか。家はどんなもので、何をして生計をたてているのだろう。バスの吐き出すほこりの彼方に去っていく姿を見ながら、昨日マサイから買ったキブユという瓜の中をくりぬいた細長い水筒のことを思い出した。それは昨夜、食事をしに下の町まで行った時、一人のマサイの女が寄ってきてこれを7シリングで買ってくれといって差し出したものだった。一つは何でもない新品のキブユであったが、もう一つのものは既に現在使用中のもので、ビーズなどできれいに装飾のなされた貴重なもので、いわゆるみやげもの屋には置いてないものだったのすぐにも購入してしまったのだ。しかし、彼らにとってこの水筒は生活必需品なのかもしれないと思うと、何だか罪深いことをしてしまったような気に陥った。

 マガディ=ナイロビ間の広大なマサイ・ランドを抜け、ナイロビに昼前に到着する。ナイロビはマガディから戻ってみると更に強く感じることであるが、非常に整備された大都会というイメージで写った。バスの終点の一つ前で降りて、明日のキップを手配しにいくという上野さんをしばらくその場で待っていると、一人陽気な警官が話しかけてきた。ついでに今いる場所と駅の位置を確認してやろうと思い、地図をみせると、一生懸命に自分のいる場所を探して教えてくれる。いろんな話しをしたついでに、一緒に写真でも撮ろうということになって、並んでもらう。とても律儀な人で気をつけの姿勢で顎をひいて構えている。その写真、是非送ってくれというので、お互い住所と名前を書いてわたす。私は彼に自分のマンガを書いてやると、ゲラゲラ笑って嬉しそうにその紙をある場所にしまった。何と紙とペンを出した所もしまった所も制帽の中で、どうやら帽子の中がポケットの役割をしているようだ。今度はこちらがアハハと笑ってやったが、彼はその理由が分らないのか、きょとんとしている。そこでふざけてその帽子を取って、被ってみせて敬礼してやった。  そんな風にじゃれ合っていると、やっと上野さんが戻ってくる。3人で一旦、インド大使館へ寄った後、Do Do Houseへと向った。その途中もうすっかり顔馴染みになった例の屋台へ寄って食事をする。チャイは勿論のこと、そこで食べたスクランブル・エッグ+パンというものがえらくうまい料理で地元?の飯が一番おいしいなどと訳もわからないことを言い合った。

 Do Doに戻ると遠藤氏がいて初めて挨拶をする。チャイナ風の口髭をたくわえた温厚そうな方で、マガディまで行ってきたことを報告すると、よく無事だったね、あそこはレオパード(豹)が出るんだよと言って我々をびっくりさせた。ここでお金の精算をすませ要らない荷物だけを残してDo Do Houseを後にした。

 バスで再びナイロビまで戻ってきて、本日のモンバサ行の列車のキップを買いに駅までいく。我々の乗りたかった寝台車(セカンド・クラス)はもうないということだったので仕方なく3等に落すことにして、37シルのキップを買った。我々にモンバサへ行くのには列車がいい、と教えてくれた誰もがみな、3等車はきついし、ちょっと危険だから止した方がいいですよと言っていたのを思い出す。結局、我々はマガディ行きにしてもモンバサ行きの列車にしても人が止せという方ばかり選んでいるようである。

 3等は実際乗ってみるまではかなり不安だったが、駅員がキップの売場と5時に出る1本前の列車の乗車位置を教えてくれたのですんなり乗り込むことができた。かなり混むといわれていたのだが、早目に行ったのでむしろ余裕をもって座れた。只席の幅が狭くてゆったりと寝れないのが最大の欠点で、それ以外は別に問題はなかった。勿論、日本の列車のように正確なダイヤで運行しているわけではないが、予定の時刻5時を少し回ったところで間違いなく動き出した。

 夕闇せまる草原の中をロコモティブはゴウゴウとう煙りをあげながら突き進んでいく。車窓からライオンやキリンが草原を闊歩する様が見れるものだと思って、終始窓の外をうかがっていた。しかし、それは大きな見当違いで、猛獣は夜中に活動するらしい。一頭たりともその姿を見ることはできなかった。  その様子を見られていた。向いのおじさんと自然に目が合い、そんな動物の話しから、ケニヤと日本の違いなどを話し込む。彼は最初、我々をジャパニーズには見てくれず、チャイニーズだという。これまでよくいわれることであまり気にしていなかったことだが、日本より中国の方がケニヤではポピュラーで、日本という国は中国の一部とでも思っているようだ。変なところで民族意識が頭をもたげ、知らない内に日本の位置や文化などを一生懸命説明している自分が少しおかしかった。

 列車の中は家族連れや、やたら声のでかいおばさんなどでごったがえしてはいるものの、危ない雰囲気はみじんも感じられない。いわゆる庶民の列車という風情でごったがえしており、むしろ親近感を感じるほどである。そんな列車の中で思わぬラッキーな出来事にでくわした。

 車内の売店へソーダ水と揚げパンを2個ずつ20シリング札で買いにいった時のことだ。忙しくしている売店のおじさんにそのおつりを要求したところ、今持ち合わせがないので座席に戻って食べた後、空きビンと一緒にこの紙をもってくればおつりをやると言われる。メモされた紙を見ると9.5/100と書いてある。これはどういう意味なのか分らずにそのまま持ち帰り、隣りのおじさんに訳を話して質問してみると、ゲラゲラ笑いながら、お前は得をしたんだといって自分のことのように喜んでいる。どうやら先方は100シリング札をもらったものと勘違いしているというのだ。本当かなと思い、半信半疑で空きビンを持ってとりかえにいくと案の定、90シリングと50セントのおつりをくれたので、やった!と思い喜びを押えて急いで持ち帰ってきた。どうか最後までバレないよう祈る思いである。

 結局3等に乗って十分に眠れない以外は楽しい思いでモンバサに着いてしまった。別に危険な目にも会わずに、むしろ2500円ほど得をしてしまった。しかし、モンバサの駅に降り立ったのはいいが、それからどこへ行く宛てもない旅である。相棒の庄司は相変わらずすっかりリラックスしている。「おい、これからどこへ行こうか?」なんて言っても大欠伸で答えるのみである。この頃から分ってきたことだが、庄司と私の旅行に対するテンポの違いがでてきた。彼は基本的には成行きでいいという態度で、細かく予定を決めないと落ち着かない私とは好対照だ。「まあ、なるようになるさ。のんびり行こうや。」という一言にいつも負けてしまうのである。

 ナイロビに次ぐケニア第二の都市、モンバサは古くから船による交易で栄えた港町で、近くにはその足跡を展示したフォート・ジーザスという博物館があるという。とりあえずそこへ行ってみようと思うのだが、不眠による疲れや、照り返しの強烈な暑さや重い荷物、のどの渇き、腹のへりなどでぐったりしてしまい、しばらく駅前の木陰でたたずんでいた。そこへ乗合いタクシーの運転手が声を掛けてきて、どこへいくんだと聞かれる。我々はフォート・ジーザスへ行きたい、と答えると20シルで行ってやるという。高すぎるからだめだというと15シルまで落してきた。こういった交渉術には既にパキスタンで鍛えられているので一回では納得しない。結局二人で14シルでいいというなげやりな運転手をなだめながら荷物をトランクに入れる。実際のところ重い荷物を持って知らない場所まで観光で行くというのはしんどかったが、ここで乗り換えて次のマリンディ行きのバスを探すまではたっぷり時間がある。疲れた体に鞭打っていそいそと車に乗り込んだ。

 駅から車で5分程でフォート・ジーザスへ着いてしまう。16世紀後半、ポルトガルの城砦だったものを博物館として観光用に開放しているところで、その古い作りの城砦もさることながら、博物館内に展示してある数々の輸入品、骨董品、美術品は見事なものであった。その中には、遠く東洋のインド、中国から渡ってきた皿だとか壷などがあって、ここへ来て初めていわゆる観光を体験した思いだった。いろいろ見て回り、結局地図だけを買ってここを後にした。

 この頃体の疲れは最高頂に達しており、のどが異常に渇き、朝から何も食べていなかったせいで体の力が入らなく、どこかで休みたい気持ちだった。しかし、駅の方へ向う通りにはチャイを飲むような店はなく、お互い自然と不機嫌になっていくのが分った。少し高そうな店だったがやっと見つけた食堂で簡単なランチをとる。そこで今後の予定を庄司と相談する。一応日食のあるマリンディまで海岸線をバスで行って、その後はラム島というところまで行こう、ということになりマリンディ行きのバス乗り場を探しにいく。人に聞いてバスを探したのだが、要領が得ずにぶらぶらしていると、二人の悪ガキが寄ってきてそのバス・ターミナルの場所まで案内してくれる。そこは実はバス・ターミナルではなく、いわゆる乗合いバスのたまり場だった。ちょうどその前で出発しようとしていたマイクロ・バスがマリンディ行きと聞き、急いで値段の交渉に入った。この時はもう値切る情熱もなく、二人で30シルだという運転手に早々とOKを出してしまい、後で庄司に文句を言われた。

 荷物を後ろのトランクにブッキングしてほぼ満員のマイクロ・バスに乗り込む。乗り込んですぐに出発するのかと思いきや、例によって一人でも多くの客を乗せていこうとしてなかなか発車しようとしない。30分程したところで、苛立ってHey, Come on, let's go.って叫んだが全然効き目がなかった。これでもかというほど人を詰め込んでやっとのことで車は動き出す。しかし、向かう場所はガソリン・スタンドで、そこで給油をしてからまた戻って客を乗せようとする。我々もさすがに疲れと諦めで、うとうとしながら本当の出発を待っていると、昼過ぎにようやく出発である。結局朝着いてちょこっと観光をして半日でモンバサを後にすることになった。


=以下第7回分へ=

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