TRAVEL ESSAY

レイク・マガディまでの車


ケニヤ旅行記(5)

1980年2月8日から3月18日まで

第5回 アフリカで温泉!

  おんぼろバスは出発してから4時間程の6時45分頃、終点のマガディに着く。何もないところなので、ちょっと不安にかられ、バスの車掌に本当にここがマガディかと確認する。間違いないらしい。バスが立ち去り、3人だけ取り残されて、あたりを見回すと一軒だけ建物が見える。ポリス・ステーションだった。とりあえずそこへ行くと、暇そうな警官が立っていて、「ジャンボ!」と挨拶される。この辺に泊まるところはあるか、ときくと自分の建物の横を指さしてここにとまってもいいと言ってくれる。もうあたりは薄暗くなってきたので、とりあえずその場所を本日の宿泊場所に決める。

 荷物を下ろして街のようすを見に、人の気配のする方へ行ってみる。バスがここへ着く前に通りかかった、ソーダ精製工場だけのさびれた街かと思いきや、通りを下りて民家のある方角へ向うと、そこには団地の建ち並ぶ一角や商店街とまではいかないが、何軒か店の集まった所謂生活空間があった。水は豊富だし、勿論電気もあり、町には終始陽気な音楽がラジオから流れており、ケニヤの典型的な地方都市といった風情で、またまたこの街が気に入ってしまった。

 ひとまず街の様子がつかめたので、水をくみに下まで下りていく。つまり町を一望に見渡せる所にこのポリス・ステーションがあるのだ。そこで町の人と話しをする。「ジャンボ!」と声をかけるとどんな人でも「ムズリ、サナ」とか「ジャンボ、サナ」という答えが返ってくる。水をもらって「アサンテ」というと、にっこり微笑んで「ンディオ」とかいってくれる。そのどの応対も自然で衒いのない素朴な人々の様子が窺われる。  ポリス・ステーション横の仮宿まで戻って、DoDoで借りてきたコッフェルとこんろで湯を沸かし、インスタント・コーヒーを飲みながらパンとビスケットだけの簡単なディナーをとる。あたりはすっかり暗くなり満天の星がおびただしく輝いて、それは素晴らしい光景である。こんな所まできてしまって、はたしてホット・スプリングなどに行けるのだろうかなどと内心不安に思ってしまう。

 旅行をして常に思うことは、ここは一体どこなのだろうか、という居場所の確認作業である。現在という時間の認識がまわりの事物によってはじめて認知できる。この非日常の体験こそが旅の本当の意味なのではないだろうか。今にもこぼれ落ちてきそうな星の群を仰ぎ見ながら、突然襲ってきた旅情の高まりを抑えきれない一瞬であった。

 眠りにつく前に、また町まで下りていって情報を仕入れに歩く。ブワナ(男たち)が大勢集まっている広場へいき、明日レイク・マガディ行の車があるかどうか聞いてみる。あまり仕事では出かけない場所らしく、その方角へ行く車はないとのことだった。数人に尋ねた後、一人のソマリア人が説明してくれることには、ランド・ルーバーの持主がいて、今お祈りに行っているが明朝8時にこの場所へきて交渉すればホット・スプリングまで連れていってくれるだろう、とのことだった。そんなやりとりをしていると、珍しがって人々が回わりに寄ってくるようになった。中にマサイも沢山いて、あの衣装を纏って我々のことをじっと見つめている。その中で英語のできるマサイが話しかけてきて、明日自分も7時30分頃ポリス・ステーションの前へ遊びに来るというのだ。マサイと知り合いになれるなんて素晴らしいことだなどと思いながら会う約束をしてねぐらへ戻った。

 ねぐらといっても野宿にはかわりなく、寝袋があるとはいえ、下は小石だらけの場所で夜遅くなってから風が吹いてきて、少し寒いくらいだった。しかし、遠路の旅疲れで、そんな悪条件にもかかわらず寝袋に入ったとたんすぐにも眠気が襲ってきてそのままぐっすりと寝こんでしまった。

 朝一番、6時発のバスの音で目をさます。まだ太陽は昇っておらず、丁度明ける寸前だったので、カメラを持って、その光景をとりにいった。日の出はあっという間だったが実に美しい朝焼けだった。  玄米茶と残りのパンで朝食をとり、約束の時間に車のあるという倉庫の前までいってみる。そこで再び車の交渉をする。どうも言ってることがちぐはぐでなかなか話しが進まない。マガディへ行くといっていた車が実はナイロビ行きだったりして、待たされること1時間以上、やっとマガディの先までいく車があるときかされる。その軽トラックの老運転手がやってきて一人10シルでオーケーということになり、急いで荷物をまとめて乗り込む。同じ荷台にマサイも何人か乗ってきて、いよいよスタートかと思ったら別の場所へ寄って又、4、5人のマサイを拾っていく。定員7、8名のところへ総勢14、5人詰め込んで今度こそ出発かと思った。しかしタイヤの空気圧が足りないとかで、最初の場所に戻って数人のマサイを降ろし、近くの自動車修理工場まで行って、空気を入れ、再び元の場所へ戻ってみんなを乗せやっと出発する。この辺の感覚にも次第に慣れてきて、我々もまー、ぼちぼち行こうよ、っていう気持ちになっている。特に相棒の庄司はこのアフリカン・テンポにすっかり同化してしまって、出発時間のことなど気にせず同乗のマサイの女の子とジェスチャーまじりで話し込んでいる。

 マサイ族はとりわけ子供を抱いた母親の衣装が美しく、うっとりと見とれていると、仲間同士で何やらささやき合って恥ずかしそうに笑っている。まだあどけなさの残る16、7才の娘である。彼女は山羊のミルクが入った空缶を手に持っているので、車が揺れる度にあたりに少しずつこぼしている。たまりかねて、代りに持ってやると、逆に持ち方が悪い、という身振りである。こう、持つのか、と聞いて持ち直してみると確かにこぼれない。それでも激しい揺れで再びこぼしてしまうと、なんて下手なんだという顔つきをして笑っている。その笑顔が実に可愛らしい。写真に収めたいな、と思ったが、それはだめだと言われたので、風景を撮るふりをして2、3枚盗み撮りする。うまく撮れているだろうか、気がかりである。

 車は4、50分湖の淵を走り、ホット・スプリングのある分岐点にきて止まる。ここからは歩いていけというのだ。遥か彼方を見たところ別段それらしい景色は見えないが、遠くに見える白い線のような箇所がホット・スプリングだと教えられ、皆に見送られながら、その方角へ歩いて行く。その間、車は止まって我々が間違いないようにと見守ってくれている。もういいから行ってくれ、と手で合図して、先へ進んでいくと、干渇らびた水たまりのようなものが見えてくる。これが先ほど聞いた白い線なのだが、どうやら温泉はこれではないらしい。あたりを360度見渡しても一面のサバンナのみである。一体どこに目標のホット・スプリングなるものがあるのだろうか心配になってくる。途方に暮れてしばらく小休止して座り込んでいると、遠くに先ほどの車が用事を終えて引き返してくるのが見えた。早速上野さんが場所を確認しに、その車まで聞きにいって何か話しをして戻ってくる。彼らがそのホット・スプリングまで一緒に行ってくれるというのだ。荷物を置いたまま飛び乗って10分程行くと、目印の棒が立っている場所が見えてくる。何度も礼を言って、その車と別れ、念願の温泉の前に立つ。手で水をすくってみると、確かに熱い。上野さんが荷物を置いてきた場所へ戻っている間、素っ裸になってソーダ水の温泉に入る。40度くらいはあると思われる湯で、嘗めるとちょっとしょっぱい。燦々と降り注ぐ太陽の光りの下、誰もいないアフリカのこの地で温泉に入る至福感は、およそ筆舌に尽くせない程だった。もう全てのことが頭の中から抜けおちて、何の雑念も浮かんではこなかった。じりじりと照りつける陽光の他、私に語りかける何物も存在しなかった。そう、時間というものがこれ程、無に近い極地になったことはかつてなかったのではないだろうか。しばらくは現在置かれている状況など一切を忘れ、大地と一体となっていく自分の肉体をほしままに楽しんでいた。

 そんな思いに耽っているうちに、上野さんもやってきて我々と入れ換えに温泉に入る。しばらく休んでから、荷物を置いてきた場所まで引き返す。そこまでがひどく長い時間に感じた。頭にシャツをのせていたものの、炎天下の太陽のため、めまいがするくらいだ。どこか日影を探そうと思っても、影といえば自分たちの体の影のみで、立木の一本すらない。他は全て太陽の強い光りを浴びて干からびている。荷物を取ってから再び30分程歩いて丘へと続く斜面にやっと見つけた数本の木をめざして進む。その際、この木陰が一人歩きしてなかなか近付いてこない幻覚を覚える。フラフラしながら木陰の下までたどりついた頃は、もう体力は限界で、何も話す気力が沸いてこない。3人とも呆然として、しばらく仮眠とも沈黙ともつかない時間がすぎる。喉の渇きが限界にきていたのだが、何もする気が起きず、ぐったりとしていたが、ふとティー・バッグを持参してきたことを思いだし、日本茶をいれようと思う。最後の気力を振り絞って、こまめにコッフェルとガス・バーナーでお湯を沸かし、玄米茶をいれて飲む。この何でもない玄米茶の何とおいしいことか。熱いのも構わずに貪るように飲み干してしまう。

 少し落ち着いて考えることができようになってみると、さて、こんな誰もいないところからどうやって帰ったらよいのか、という現実的な問題に直面する。まさかこの灼熱の太陽の下、てくてく歩いて帰るわけにはいかない。この辺が行き当りばったりの旅行の盲点かなと思っていたところ、一台の白い乗用車が我々の行った、ホット・スプリングの方へ向って通り過ぎていった。あの車が戻ってきたらつかまえて乗せてもらえばいいのだ、と思い、待っていると、果して10分程して戻ってきたので、皆して手を振って乗せてもらう。白人中心に4人乗っている。そこへ荷物と我々3人を無理やり乗せてもらって、猛スピードで連れ帰ってもらう。お前らどうやってここへ来たのか、という質問とじゃあ、お前らどうやってここから帰るつもりだったのか、という質問を先ずされた。訳を説明すると、ばかな!という顔をして笑い合っていた。

 何はともあれ、この親切なナイロビ在住の白人に、マガティの町まで連れてきてもらい、何度もお礼を言って、別れた。その後はまず、喉の渇きをうるおしに、下の雑貨屋まで直行する。日本でいうファミリー・サイズのコーラを立て続けに2本も飲む。それとマサイの着ている布きれをみやげ用に4、5枚買いもとめる。それから外へ出て少し歩くとまた喉がかわき、引き返してコーラを飲む。一体どれくらい飲めばおさまるというのだ。いわゆる脱水症状に近いまでに体は衰弱していたのだろう。今度は体を洗いに水飲み場まで出かけていく。上野さんがまず行って、その後私が行って帰ってくると、上野さんはあたりの子供たちを集めて折り紙を配っている。そこで一人の子にジャパニーズ・フラミンゴって言って鶴を折ってやると、目の前に無数の手と折り紙が出され、あたりは黒山の人だかりになってしまった。ここでは我々日本人はちょっとしたスターなのだ。最初はこまめに一つずつ鶴を作ってやったが、あまりの多さに方針を変え、手間のかからない飛行機にき り変えた。それでも次から次へと小さな手が顔の前で催促している。弱ってしまい、20個ぐらい作ったところでSorry, I'm so tired. といってその場を離れた。

 その際今日一緒に車に相乗りしていたマサイの若妻が寄ってきて、ジャンボといって握手を求めてきた。それに昨夜、ちょっと合っただけの顔見知りも気楽に声をかけてくる。全く屈託のない人達である。生き返った上に、なお暖かいもてなしを受けて本当にマガディまできてよかったと思った。

 夜は少し雨が降ってきて困っていると、例のポリスマンが寄ってきて、こっちへこい、といってくれる。丁度ポリス・ステーションの下に空き部屋があり、こへ泊まってもいいという。アサンテを繰り返し、早速移動する。荷物を置いて、下へ行ってチャパティとチャイを飲みにいく。おいしいチャイで、何と3杯も飲んでしまった。たらふくチャパティを食べて戻ると、我々の隣りに住んでいる青年が友達と一緒に遊びに来い、というのである。遠慮なく3人して出かけていくと、何とディナーを用意してくれており、彼の友達2人を交えて再び会食となる。ウガリというとうもろこしの粉を練ってふかしたパンのようなもの(これがケニヤの人の主食のようだ)と、ンボガという野菜スープとチャイでもてなしを受ける。自己紹介をし合ったり、ケニヤと日本の違いを話したりして過ごす。最後にお礼にと、一緒に写真を撮って、日本へ帰ったら必ず送るからここの住所を書いてくれというと、恥ずかしそうにしながらも一生懸命アドレスを書きはじめた。そんな純朴そうなブワナたちの様子をみて、あー、これも旅の一つの享楽なんだなと感慨を新たにした。そういえば、ホット・スプリングまでの車の中で、同乗のマサイの青年と身振り手振りで話しをした際、名前をきかれ、とっさに持っていたボールペンで彼の手の平にローマ字でShigekiと書いてやると、彼も私の手の平にKingesoと書いてくれたのを思い出し、こんなコミュニケーションのやりとりが自分の求めていた旅なのかもしれないと思った。
=以下第6回分へ=

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