TRAVEL ESSAY

Children In Kenya


ケニヤ旅行記(3)

1980年2月8日から3月18日まで

第3回 サワサワ、アフリカ

 PIAの743便はドバイを発ち暗闇の中、4時間程飛んで目的地ケニヤのナイロビに、現地時間の午前1時半に無事着陸する。飛行機が空を飛ぶという現象を信じきっていない同行の友人、庄司と私は着陸する度に奇声を発し、無事であることを喜びあう。この時ばかりは更に目的地に着いたという感動で眠気もどこへやら、少し興奮気味に飛行機を後にする。ナイロビの空港は新装なったばかりのバカでかい空港で、これがアフリカのまっ只中にある空港かと不思議に思えるほどの近代的なたたずまいだった。

 税関で荷物チェックを受ける前に、一人血相をかえて飛行機にとってかえす者がいた。真島君である。どうやら、パスポート等を入れた袋を機内に忘れてきたようである。人事ながら、この先が思いやられるな、などとこの時は思っていた。(その後に、我身にふりかかるもっと大きな事件のことなど、誰が予想しえたのだろう。)

 ケニヤの役人は一面おおらかで恐い感じはなかったが、体が大きく、ある種の威厳にみちていた。入国手続きは外貨の持ち込み申請にちょっと手間どった以外、全て順調に進み、ロビーを見ると、ドゥー・ドゥーの現地スタッフ、馬場さんとおぼしき人が出迎えに来ていた。実はこの人、馬場さんではなくその代理の人だったのだが、この人ともう一人、小野さんという小柄の女性の人が我々を見つけてくれた。自分のリュックを担いで、外へ出ようとした際、脇のポケットに入れておいた靴が片方ないのに気付き、あたりを探していると、小野さんがきてその片方の靴を持って、荷物カウンターの方まで探しにいってくれた。やがて素早い動きで戻ってきて、ペアーになったスニーカーを持ってきてくれた。

 十分にお礼を言って、荷物をまとめているうちに、迎えのマイクロ・バスが到着。ここから別行動の伊藤、松島コンビ、真島君、それに和田さんを残し、他の連中は皆、このバスに乗る。それぞれ、忘れ物や手続きに時間がとられ、なかなか出発しない。そんな様子をバスの運転手は「サワ、サワ」と言って笑っている。意味は分からなかったが、そのニュアンスは正確に伝わってきた。“のんびり行こうよ”という雰囲気がうまく表現できた素晴らしいスワヒリ語で、現地に入って初めて覚えた言葉がこの言葉であった。

 その運転手にスワヒリ語の分かる榊原氏と谷君が答え、何やら歌など歌い出す。“マライカ”という有名な歌らしく、他の人もハミングで加わる。何というおおらかな時間なのだろう。これがアフリカ、ここがケニヤという国なのか。皆、パキスタンでの沈み勝ちの表情が一変して、楽しい時間を享有する人々に変身しているではないか。

 マイクロ・バスは高速道路を走り、市内に入ってから先ずリバーサイドの榊原氏たちの泊まる安宿へ寄った後、我々の泊まるフェアビュー・ホテルまで行く。ここでの一泊料金は、今回のチケット代に含まれているのだが、チェック・インしたのが夜中の2時頃で、翌日の10時にはチェック・アウトと聞いていたので、これで9000円はちょっと高すぎると思った。急いで風呂に入り、すぐに寝てしまったが、部屋はTHEINNよりも数段上のところであった。

 実際に到着したのは2月11日の深夜なのだが、一度寝てしまったので今日が2日目という気がしてくる。このホテルの朝は実に素晴らしく、空が抜けるように青く、庭の緑も美しく映え、何よりも空気がうまい。朝食も充実しており、フルーツ、ハム、サラダ、卵、パン、ジュース、コーヒーと豊富なメニューである。ここはケニヤでも所謂高級ホテルとまでは行かないが、結構ハイ・レベルなホテルなのだろう。たらふく食事をとった後、昨日熱があってこられなかったいう馬場さんが、小野さんらを連れて今後のスケデュールの確認とその他の手配のためやって来る。さしたる予定のない我々は、とりあえずレンタ・カーでも借りるつもりでその情報を聞く。しかし、他の人はきっちり行動予定を考えて来ているのに、行き当りばったりの我々はまだどこへ行くのか意見がまとまらない。一応2日目からの宿泊をドゥー・ドゥーのEndo Houseにするため、馬場さんたちの案内でそこへ向う。

 このDo Do Houseというところは、ナイロビからバスで2、30分のところにあり、遠藤さんという名物オーナーが我々のような旅行者用に格安で開放している家で、食事、風呂は料金の内に含んでいないが、荷物を置くだけや素泊まりなら利用できるところである。

 一旦、ここに荷物をおいて、またバスにのってナイロビまで出かける。先ず、バークレー銀行に行って、トラベラーズ・チェックの換金をする。その後、大賀君や上野さんを連れだって市内見物をする。庄司は早速靴屋に入り、ビーチ・サンダルを買い求める。

 かつて英国領だったケニヤの通貨単位はシリングで、1ドルが約7シリングだから1シリング30円見当(1980年現在)である。海外旅行で戸惑うことは、その国の通貨がどの位の価値があるかということがすぐには飲み込めないことである。何か物を買う際、値段を聞いてみてもはたしてそれが高いのか安いのか、ピンとこないのである。それに、我々はその前にパキスタンでルピーという単位でお金を使っているので、それと混じってますます分らなくなってしまう。甚だしい場合は、結局かつて行ったことのある国の単位(大賀君はメキシカン・ペソ、庄司はインドのルピーなど)で考えはじめ、ばらばらのスケールで高い安いを判断する。しかし、これも海外旅行の面白さの一つで、慣れればこれも解決するのだろう。

 途中、レストランでハンバーガーなどを食べた後、車を借りるため、レンタ・カー屋へ行く。のんびりとした交渉ですぐには事が決らない。また明日来るからと言ってそこを後にする。こんなペースで仕事になるのかな、と日本感覚で思ってしまうが、次第にこのゆったりしたテンポに慣れてくる。

 ナイロビという街は、予想に反し新しいビルディングが建ち並ぶ近代都市で、その中に自然がうまくマッチしており、行き交う人々も活気があふれていた。ただ、どの顔も真っ黒で識別がつかず、皆同じ人に見えてしまう。白人もたまにいるのだが、インパクトがあるのはやはり黒人の顔だ。特に、黒人の女性の服装は原色を多く取り入れたカラフルなデザインで、ケニヤ人のセンスの良さを感じてしまった。

 そんな思いで、街をブラブラ歩いていると、別のホテルに泊まっている、一旦は別れた別のメンバーの姿がすぐに目につく。おーい、なんて向こうから声をかけられて、結構広いようで狭いところをうろうろしているようだ。途中から一人で行動している深沢君や、日食観測の荻野夫妻とも合流して、皆してタクシーをかりてDo Do Houseまで戻った。タクシーを降りた直後、宮沢さんはそれまで脱いでいて手に持っていた革靴を車の中に忘れてきてしまったことに気が付く。折角谷君が骨を折って値切ってくれたタクシー代が、えらく高いものになってしまった、と言って悔しがっていた。

 夜はDo Do Houseの近くの屋台でチャイとチャパティという典型的なケニヤの食事をとった。一緒に付いてきた宮沢さんがそこのおっちゃんにビールが飲みたい、と頼んだところ、オーケーといって姿をくらました。どこへ行ったのかと待っていると、わざわざ近くのスーパーまで行って、ビールを買ってきてくれたのだ。これまた気の優しい宮沢さんは恐縮して、多く金を払うなどと言っている。こんな気のおけなさがこの国の人々に共通した特徴のような気がした。昼間の焼け付くような太陽が沈み、あたりを静寂がつつみこんで、ゆったりとした時間と気さくな連中の住むこの国の、何かいいことがありそうな予感のする初日であった。
=以下第4回分へ続く=


インデックス・ページへ