TRAVEL ESSAY

Bazar at Pakistan


長い文章なので要注意!


第2回 パキスタン

 余裕を持ってコーヒーをすすっていたら、いつの間にか出発の時間が来てしまい、逆に慌てて換金の手続きをしに空港内の銀行へ走る。その手続きに若干手間取ってしまい、結局我々二人が一番最後に飛行機に乗り込むことになってしまう。更に悪いことに、庄司が搭乗カードをどこかに忘れてきてしまい、危うく便に乗り遅れるところだった。動く歩道をひた走り、手荷物チェックも速攻で済ませ、なんとか飛行機に滑り込む。なんで最初からこんなに走らなくてははらないのか、と思いながら機内に入る。これが生まれて初めて乗り込む飛行機である。

 そんな状態で慌てて乗り込んだものの、飛行機が実際に滑走路に出て動き出すまでには、割と長いインターバルがあった。訳が分からないまま、まんじりともせずにフライトの様子を窺う。やがて機体はそろそろと進路をとり、いざ離陸という瞬間はあっという間であった。地上を離れた感覚もないままに、重い鉄の塊は一気に上昇し、気が付いて窓から外を眺めてみると、成田周辺の道路や民家、田畑が正に航空写真で見るようにぐんぐん小さくなっていく。

 無事離陸したことでホッとして、私の気分はやたら陽気になってしまった。それからが大活躍の機内となってしまった。先ず、指定の席を離れ、一番後ろの広めに空いている席に行き、機内を観察していたら、PIAのスチュアートの若い子が、私の服装をみてやおら話しかけてきた。「あんた、エール・フランスの人なの?」って言ったかどうか分からなかったが、その当時流行っていたパイロット・シャツを見て、そう英語で聞いてきたのだ。「No, it's only my fashion.」というブロークン・イングリッシュが口をついて出たあたりから調子にのって、この青年を相手に英語のレッスンと決め込んだ。天気の話しや飛行機の揺れのことなどについて聞いたところ、ちょっと待て、と言って一旦引き返し、しばらくすると隣りの席にどっかりと座り込んで話しかけてきた。しめた!通じなくたっていんだ、」という気で思い付いた英語を次々とぶつけてみた。そうして分かったことは、この彼はパキスタン人で、歳は24才、かつて東京は池上に住んでいたことがあるとのこと。私の地元のIkegamiという響きに急に親しみを覚え、自分はその隣り町に住んでいるんだよって教えてあげると、期せずして握手を求めてきた。更によく聞いてみると、その池上にフィアンセがいて、この5月に結婚する予定だというのだ。そこで「Is she pretty?」と聞いてみると徐に胸のポケットから写真を出してきて、恥ずかしそうに微笑んでいる。「Oh, let me take a look」と言って無理矢理奪うように見せてもらう。比較的大柄なジャパニーズ・ガールは目鼻のきりっとしたなかなかの美人だった。そこで、もしおまえが結婚しなかったらこの俺がもらってやろう、なんて冗談を言ってやった。

 そんな和んだ雰囲気誘われてか、もう一人の中年風のスチュアートも横の席にやってきて、話しに参加してきた。パキスタン人特有の口ひげをたくわえた精悍な感じのこのおじさんからパキスタンのことをいろいろ教えてもらう。「カラチに着いたら先ず、黄色のマイクロ・バスに乗ってSADARという市場へ行ってごらん、何でもあるよ」と教えてもらった。どこにあるの?と聞き返すと、汚い字だが地図まで書いて説明してくれた。その後、ちょっとシャイな美人スチュアーデスさんを呼んで、彼女にアジア・アフリカ学院の学生(真島君)が持っていたオセロを教えてあげ一緒に遊んであげた。また、成田空港でフライトを聞かれたひげの兄ちゃん(この人が実はスワヒリ語のオーソリティで大のアフリカ通だということは後になってから知ったのだが)からカラチで我々が泊まる予定のTHE INNというホテルについての情報を聞いて、他のメンバーに教えてやったりして、機内を我が物顔で振る舞った。おかげで庄司からは「国際線の石川」と呼ばれるようになってしまったが、少々疲れてしまった。

 成田を発ってから2時間ほどしてランチが出た。チャイニーズとヨーロピアンがあったが、我々は後者をとった。そんなに悪い食事でもなく腹も減っていたのでおいしくたいらげた。食事をとったら、直ぐに眠くなり、しばらく仮眠タイムとなった。起きて旅程の確認でもしようと思っていたところ、例の中年のパキスタン人が話しかけてきた。今度はこちらから話す元気がなかったので会話はスムーズには運ばなかった。彼はそんなこちらの様子にお構えなしに次々と話しかけてくる。どうやら気に入られてしまったようだ。話しをすらすように、飛行機の窓から外を窺うと、大きな河が大地を裂くように流れ、陽光が時折反射して、壮大な光景を展開させてくれる。そうか、もうすぐ中国の北京に着く時間なのか、と思いこの人を無視して話し続けるおっさんに、あれは何と言う河か?と聞いてみる。すると、あれはリバーではなく、カナル(運河)だと教えてくれた。眼下に見下ろす中国大陸の、ほんの一こまの風景に旅の感動を覚えながら、腕時計をパキスタン時間に合せる、時差は3時間程なのだろう、12時丁度に機体は北京空港に降り立ったのでした。

 外へは出られなかったのだが、待合室で買物するくらいならできると聞いて、浮き足立って中国の地へ足を踏み入れる。だだっ広い構内に中国人の姿は少なく、土産物屋の売り子さんが清楚な身なりで立っていた。中国語なんて全く分からなかったのだが、換金できると聞いてあわてて千円札を両替し、その金で手頃な指輪をいくつか買って、そのあまりでチョコレートも買った。お金を払う際、ふと麻雀のカウントを思い出し、イー、アル,サン,スーとやったところ通じたので調子にのって繰り返していたら、余分の買物になってしまった。それでもまだ残金があったので、今度は葉書を買いにいき、英語が通じたので切手を下さい、と言うと毛沢東の肖像の切手を沢山出してきた。そこでパンダの切手を下さい、と言うとしばらく考えこんでから、そこで働いている別の子に向かって「パンダだって!」と言って大笑いされた。その屈託のない笑い方がとても可愛かったので、その娘たちとしばらくじゃれ合っていたら、またもや搭乗時間に遅れてしまい、走って機内に戻る。庄司共々、自分たちの度々の不甲斐なさに呆れてしまった。

 北京は機外の気温がマイナス5度という寒さで、ロビー内は暖房が利いていて寒くは感じなかったものの、機内へ戻るとぞくぞくと寒さが増してきて、毛布などを出してもらう有様だった。出発までのしばらくの間、毛布にくるまっておとなしくしていたら、我々と同じツアーのメンバーで、車椅子で来ているベテラン・ツーリストに同行してきた青年がすり寄ってきて、「荷物をまとめているのはあなたですか?」って尋ねてきた。「ええ、そうですが。」って答えると「それ、何でも次ぎに寄るラワルピンジーで一旦降ろされるらしいですよ。」って言われ、一瞬ギクっとした。「エッ、どうしてなの?」って聞き返したところ、この飛行機にたまたま同乗していた日本人のPIAのステュアーデスが言うには、我々はトランジットでも一旦ラワルピンジーで降ろされ、パキスタンへの入国手続きを済ませなくてはならない、と言うのだ。ドゥー・ドゥー・ワールドから聞いていたことは、カラチの空港で時間待ちのため一泊するが、パキスタンへの入国手続きの必要はないとのことだった。そこでその女性にその辺りの事情を聞きにいったところ、旅行代理店の説明は全く非常識だといって非難しはじめた。一応11人のリーダーという肩書きをもらった以上、こういう場面で活躍しなくては申し訳ないと思い、再び車椅子で来ている榊原氏にご意見を窺いにいった。

 彼は50才前後の年齢からくる落ち着きと、自由人の風貌をもっておられ、そんなあわてふためいている私に対し、「まあ、郷に入っては郷に従えでよろしいんじゃないですか」と言って達観されている。そこでもう一人のベテラン・ツーリスト、例の成田で質問してきたひげ君をつかまえて、どう思いますか、と聞いたところ、「そんなことはない!それはその女が間違っている。今まで何度もPIAを使っているが、そんな話しは聞いたことがないですよ。」とかなり強気の発言である。もともと海外旅行は素人である自分はますます迷うばかりで、一通りメンバーの方達にこのことを告げてまわるので精一杯でした。とりあえず、ドゥー・ドゥー・ワールドよりカラチでのホテル代を預かってきている上野さんという女性の意見に従って、このまま静観してラワルピンジーまで行き、そこで考えればいいのではないかということになり、みんなにその旨を伝えて仮眠をとった。

 結局ラワルピンジー(イスラマバード)では一旦機外に出たものの、例の日本人スチュアーデスのお世話でトランジット扱いとなり、荷物も出さず、入国カードも提出せずに済んだ。それにしても飛行機の中は実に退屈で、腹は減るが一向に飯は出ないときて、ほとほと参ってしまった。ディナーがパキスタン時間の4時半頃出た後、辺りは暗くなり出してみんな寝の体勢に入ったのだが、自分のシートはリクライニングがぶっ壊れていて、体を思うように伸ばせず往生した。また北京からは搭乗員が一変して以前のように気楽に声をかけられる雰囲気ではなかったが、その中にあって一人、"クーニャン"と呼んでみた中国系のスチュアーデスがとても可愛かったので、その娘から皆の入国カードをもらい、配ったりして退屈さを紛らわせた。

 この頃になると、同じツアーの人たちが入れ替わり立ち替わり自分のところに質問をしにくることが多くなった。一見、サラリーマン風の中年の人などは完全に私を頼り切っていて、入国カードの書き方をいちいち確認しにやってきた。こちらも人に頼られると悪い気はせずに、代筆までしてやったりで大忙しだった。この時点では自分は案外素直にそうした世話役であることを楽しんでいたのだろうが、そんなやり過ぎのサービスをたしなめられたことがあった。例のトランジットで、しばらくイスラマバードの空港ロビーで待たされていた時のことだった。サービスの一環でPIAからコーヒーの差し入れがあり、そのコーヒー・ポットを持って一人一人に注ぎに回っていたら、榊原氏から「そんなことまであなたがすることはないじゃないですか。」と言われハッとした。確かに自分はドゥー・ドゥー・ワールドのスタッフでもないし、リーダーと言っても名目上のもので、却って不愉快に思う人もいるかもしれないと思い、少し反省した。

 イスラマバードからカラチまでは、それまで機内を全面展開で活躍し続けた疲れと、長い飛行機の旅や時差ボケなどで、一気に眠気が襲ってきた。どれだけ経ったのだろうか。機内がザワザワしてきてやっとカラチ空港へ着く頃に目が覚めた。パキスタン時間で夜の10時近くで、我々全員は国内線の方から入国した。その際、荷物も一緒に出されたが、女子学生2人組のうち、背の低い子の持っていた段ボールの荷物が見当たらないということだった。しばらくすったもんだした挙げ句、そこで全員待機を余儀なくされる。いろいろ当たってみたが、結局この女の子の荷物だけは、かわいそうにも出てこず、彼女はちょっとしょげ気味に荷物カウンターを後にすることになった。紛失手続きをしなくてはならない彼女とその友達に、とりあえずホテルにチェックインしてから明日もう一度見にこようと告げ、二人だけを残して、その他全員はPIAが用意してくれた汚いマイクロ・バスでTHE INNというホテルに向うことにした。空港から僅か数分のところにあるホテルに皆連れ立ってチェック・インする。その際、暗闇から恐ろしい形相をしたポーターと車の運転手が「リーダーはお前か?」って寄ってきて、すかさずチップを要求してきた。皆やっと荷物を下ろし疲れていた時でもあり、ここでまたトラブルがあってはまずいと思い、1ドルずつ二人にやってチェック・インとなった。そしてツインの部屋3つとシングル部屋を6つ頼んだのだが、ツインの部屋がダブルであったので榊原氏からクレームがついたり、ポーターがもっとチップをよこせとしつこくつきまとってきて何だか薄気味悪いホテルだった。

 そんな泊まりたくないホテル側との交渉の矢面に立つのも庄司と私ということが暗黙の了解となってしまい、ここでも慣れない交渉役となってしまった。みんなの満足のいく交渉となったかどうかは分からないが、一応それぞれの部屋が決まり、その後我々の部屋に集まってミーティングのようなものになった。そこでそれぞれの自己紹介が始まる。今回、このINNに泊まることになった人は全部で12人。既に登場した榊柄氏は富山でジャズ喫茶をやっているという元ジャズ・ベーシスト。車椅子での参加である。その付き添いの谷君という青年はその店の常連客とか、二人とも音楽が似合いそうな自由人といった風貌である。上野さんというベテラン・ツーリストは浦和で保母さんをしており、大のアフリカ(ケニア)通。今回の目的は丁度遭遇できる皆既日食やサファリを体験したいとのこと。一番エキセントリックな女性は和田さんといい、終始感情をあまり出さないもの静かなナイプでその分ミステリアスな方。何でもコモロ諸島というタンザニアの先きの島に永住を目的に出かけるとのことで、皆「へー!」って驚いてしまう。もう一人、およそアフリカへ旅行するという出で立ちには見えないサラリーマン風の男性も変わっていて宮沢さんといい、あまり多くを語らなかったがちょっと謎めいた人でした。皆大体リュックにスニーカーという格好なのに、この人、スーツケースを持ち、何と革靴での参加だった。それに真島君といって、アジア・アフリカ学院の生徒で、昼働き、夜学校に通ってスワヒリ語を勉強しているとのこと。でもこの彼、何だか頼りなさが目立ち、成田のひげ君に言わせると「あの人いつか絶対に盗難に遭う気がする」とのことだった。あと荷物を失した伊藤さんという東洋大の学生さんと、松島さんというその同僚。彼女たちもいわゆるアドベンチャーの素質を十分に持った面白そうな女の子たちで、失した荷物にはセイシェルで体験したいダイビングの道具が入っているということだった。さらに、かつてメキシコ旅行の経験がある大賀君という早稲田の商学部の学生と今回、ドゥー・ドゥー・ワールドのツアー・メンバーではないが同じナイロビ行きのトランジットでこのホテルに泊まることになった深沢君という明学の学生、それに庄司と私を加えた12人である。皆いろんな個性を持っていて、面白そうな人ばかりで、そんな自己紹介を兼ねた雑談をしてからそれぞれの部屋へと戻っていった。

 我々の泊まったTHE INNというホテルはカラチ空港から歩いて5分程の場所にあり、夜入ったので一見怪しく見えたのですが、朝起きて外観を見てみると、多少造りは古いものの、パキスタンではミドル・クラスに属するホテルであった。シャワーもお湯が出るし、ベッドも大きなダブル・ベッドで、庄司の寝相の悪さ以外はまずますの設備だった。今朝は7時過ぎに目が覚めてしまい、早々と荷物の片付けや所持金のチェックなどを済ませ、隣りでグーグー寝ている庄司を叩き起こし、朝食をとった。ドライ・カレーのようなライスとこれまた辛いサラダにスープ他のバイキング・スタイルの朝飯だった。あまり口に合うものではなかったので、最後にジュースをオーダーしたところ、これはNot includeでOne Dollarだと言われた。ちょっとムッとして「じゃあ、要らない」と言って断った。全般にこのホテルの従業員の態度はあまり好感が持てない。他の連中も誰もが皆、早くここを離れたい様子がみてとれた。

 その後、早起きした連中と一緒にINNの周辺を散策してみる。その際、上野さんから「石川さん、できたらあのホテル変わりませんか?」と言われ、同調する人が多く、もし部屋が空いていたらあそこがいいということになって、INNのそばのモダンなホテル、MIDWAYというホテルに交渉に行ってみた。しかし、生憎空いている部屋はなく諦めて帰ってきた。この日は土曜日ということもあって、パキスタンの街は賑わいを呈してしたので庄司たちを誘って散歩してみることにした。先ず気が付くことは道を沢山の人が歩いているのだが、それらは全て男性で女性の姿を見ることはできなかった。そう意識して見てみると、実に異様な光景である。男達はブラブラと目的もなくたむろしており、働いている様子でもなく談笑している。道路には数多くの日本製セコハン車や円タク、ホンダのカブなどがやたらばかでかい騒音を響かせて走っている。その様は仕事で忙しくしているというよりは遊びで乗り回しているみたいだ。

 同行したツアー・メンバーも早く目的地のアフリカへ行きたい、という気持ちが伝わってくるような目つきで異国の連中を眺めている。決して悪口や非難はしないのだが、心既にここに非ずといった様子が伝わってくる。ここではやることがあまりないので、すぐにホテルにとって返し、昨日荷物が出てこなかった伊藤さんに付いて空港事務所まで問い合わせに出かけることにした。係員の対応は事務的であまり頼りにならず、結局長く待たされたものの、荷物は出てこなかった。ホテルに戻ると昼近くになっていたので、軽い食事をとってからPIAの機内で教えてもらったバザールへ行こうと私が提案し、希望者5.6人を誘って出かけることにした。話しに聞いていた黄色いマイクロ・バスに乗って、カラチの中心街から10分程のところにあるバザール(市場)で降ろしてもらうことにする。

 SADARという名のバザールは聞いていたよりはるかに人間臭いところで、およそ初めての外国人観光客の行くところではなっかった。細い路地に数多くの露店が並び、丁度東京で言えばアメ横のような、というよりアメ横をさらに圧縮したような人々の息づかいが伝わってくるような市場だった。私はそんな佇まいが一遍で気に入ってしまい、買いはしなかったが、そこら中の小さい露店に入って観察してしまった。オレンジだのマンゴ、パパイヤ等のジュースや日用雑貨や靴、それにいかがわしい精力剤のようなもの、使い古した衣類、玩具、楽器等ありとあらゆる雑貨が売られていて活気を呈していた。ここはカラチの庶民の生活そのものが展示されているようだった。我々ツーリストのショッピングとしては適していなかったかもしれないが、その奇妙な声を発して売りさばく人の様子や、こんなも誰が買うのだろうかと思われる小物を観察するだけでも十分に楽しめる場所に思えた。結局そこではパキスタン人の誰もが冠っている民族帽のような帽子を一つだけ買って、それを冠って歩いてみた。少し疲れたので冷たいコーラでも飲みながら、懸案だった今晩から泊まれるホテルをこの辺りで探そうと庄司と相談した。そしてHOTEL DE PARISという名の小さなホテルを見つけ、直接交渉してみた。一人400ルピーというところを12人で3,500ルピーまで下げさせて、帰ってから連絡すると言って電話番号を紙に書いてもらった。

 その後、和田さんの所望でこの近くのモスクを観にいこうということになり、馬車2台を借りて繰り出した。そこはQUAID-AZAM, M, A, JINNAHという壮大なモスクで、ここで少し写真を撮って時間を潰した。帰る際、タクシーと馬車のドライバー同士が我々団体客の奪い合いとなり、双方でお互いを激しくののしりあう現場となってしまった。我々はそれを静観しながら、結局勢いのあった馬車組に20ルピーで押し切られる形で帰路についた。

 パキスタンというところはこのバザールから受ける印象では、やはりまだ貧しい国である。物売りに混じって物乞いが多く、そばへ寄ってきては手を差し出されることも多かった。また回教徒の国なので飲酒が禁止されていたり、一夫多妻制が許されている状況などを見ると、何だか制度が未分化で、国民の満足度はどの程度だろうなどと思ってしまった。結婚して所帯を持つには貧しすぎ、男色に走るケースも珍しくないという。そういえばホテルの近くで、仲良く手を取り合って歩いている男同士のカップルを度々見かけた。彼らはバンプという噛みタバコのようなものを口にしており、その赤い唾をペッと地面に吐くので、道の至る所に血を吐いたような跡が残り、そこにハエがたかって実に汚ならしい。それらの男たちの歯は、おはぐろを塗りたくったように血が固まった色をしており、赤黒い筋が唇について、笑うと異様な形相になr。このバンプなるものが酒が飲めない国の人々の、唯一のカンフル剤のようなものになっているのだろうか。

 我々Twelve Perpsonは別にパック旅行の団体さんでもなく、まとまって行動する必要はないのだが、ホテルで何か問題が生じると全員で解決しようという風潮が生まれてきている。昨夜はどうやってドゥー・ドゥー・ワールドから割り当てられた300ドルで自費の2人を含めたみんなが安く泊まれる宿がないかで議論となった。私は別にまとめ役でもないのだが、一応みんなの意見をフロントにぶつける役になってしまう。結局、自費扱いの和田さんと深沢君の部屋をキャンセルして、彼らは別の部屋に潜り込むという作戦で一件落着と相なった。

 今日はチェック・アウトの日なので、支払いの際如何に安くなるかで一波乱あったが、それも大方クリアしてカラチを後にすることにした。しかし問題は次ぎから次へと出てくるもので、出国に際してイミグレーションで一人10ドルの入国税を要求されてしまった。一旦パキスタンへ入国したのだから、当然といえば当然なのだが、これはフライトの都合で我々の意志ではない。例によって、そういったこちらの事情を説明する役回りになったものの、このオフィサーは頑として言うことを聞こうとしない。しばらく押し問答があった末、いつもの癖でディスカウントをしてみた。タックスのディスカウントなんてきいたことがなかったが、これがまかり通る世界であった。一人10ドルのところを8ドルでいい、と向こうから言い出したのだ。そこで、いや一人5ドルにしろ、と押したところ面倒くさそうにオーケーがでた。これはしめたと思い、さらに一人2ドルではどいうか、と食い下がってみた。今度は突然ムッとして全員のチケットをまとめろ、そして従来通り10ドル払え、と言い出した。ちょくしょう、と思ったが、仕方ないので、一旦オーケーの出た5ドルx12人の60ドルで手を打ってしぶしぶお金を払って荷物を載せることにした。この金はきっとこいつのポケット・マネーになるんだろうと思うと最後まで釈然としない気持ちが残った。

 最初カラチ発が15:30と聞いていたのが、ボードに17:45となっているので変だと思ったが、やはり日本からもらったタイム・テーブルが古いもので、17:45に変更されていた。そこでチェックを受けてからロビーで1時間以上待つことになった。その待ち合い室にはタックス・フリーの売店があって、時間潰しに見て回った。知り合いの外人からカラチで見つけたら買ってくるように頼まれていた石膏のチェス・ボードが50ドルであった。帰りに忘れなかったら買っていってあげようと思った。そのロビーには他の日本人客もいて、同じナイロビ行きのPIA743便を待っているのだった。そこで我々のグループを代表して、人なつっこい谷君が情報を仕入れにいくことに。遠巻きで眺めているとしばらくして戻ってきて、報告を入れてくれす。彼らは理科大の日食観測のパーティで、谷君たちの行くところと同じ場所で観測をする連中だそうだ。この時、初めて知ったのだがこの時期にケニアに行く観光客のほとんどは、この日食を体験しにいく人たちだということだった。その中にこのパーティとは別に車で単独に行動するという夫婦がいて、これが熊沢さんから聞いていた荻野さん夫婦だと分かった。そこでうちの大将、榊原氏がこの人と日食に関する細かいデータや情報を交換し合いながら、お互いの知識を披露し合う展開となった。おかげで詳しい日食の位置や時間を知ることができた。

 そんな話しで盛り上がっているうちに、いよいよフライトの時間となり、短い滞在だったパキスタンともお別れである。私にとっては初めての外地となったパキスタンであったが、トランジットであったため特にこれといった感慨は湧いてこなかった。

 飛行機は途中、アラビア半島のドバイ空港に給油のため一旦立ち寄った。私と庄司は必ず飛行機が止まる場所には、真っ先にタラップに立ち、空港スタッフと一緒に降りてみるのが通例になってしまった。トランジットとはいえ、いろんな国に降り立つことができるのだから、それを逃す手はないだろうという訳である。上野さんを誘ってみると、私は結構です、と言ってじっとしている。そうか、みんなアフリカ以外はあまり興味がないのだな、と思い僅か二人だけでドバイ空港のバスに乗ってDUTY FREEのあるロビーに連れていってもらう。この空港は一風変わったところで、バスに乗り込む前と帰り際に銃を持った兵士から厳しいボディ・チェックを受けた。これはまさにテロの横行するようになったアラビックの世界に入り込んだことを身をもって体験した。ここの売店ではたまたま見つけたジミー・クリフのカセット・テープを記念に買って、今度は遅れないように早目に飛行機に戻った。

 

 

=以下第3回分へ続く=


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