大瀧サウンドとともに25年!

Hi! This is Ban-nai Tarao. Haikara is beautiful.


大瀧詠一スペシャル
Each Otaki Special


あー、やっと大瀧詠一の特集を組むことができました。これはインターネットをやるようになってからの一つのテーマだったように思われます。

当初、仕事でインターネットのことを知る必要から入って、それでは個人で接続してどういうものか把握してみたい、と思ったのがはじまりでした。その内、みているだけではもの足りなくなってきて、ただでホームページを持てるときいて、これはやらねばと思って、自己流でどうにか立ち上げることができました。HTMLやShockwaveだのGIFの作成など、自分には無縁のことを独学で知り、会社の若い人にもチェックしてもらって、お調子者にありがちなのりでここまできてしまいました。誰がこんなものを見るのか、とか暇ですね、とかいうお決まりの侮蔑、批判にも耐え、ひたすら更新続け、今ではパソコンの前にいない日はないくらいのおたくになってしまいました。それは果たして自分にとっていいことなのかどうか分かりませんが、そうした作業の中で一番刺激を受けた人が大瀧詠一という人でした。(最初は萩原健太さんのページ経由で大瀧さんがホームページをもつということを知ったのですが)

この方との付き合い(といっても勿論、一方通行ですが)はもう25年位にもなるのでしょうか、お互い、歳をとったものですね。単なる趣味の音楽というなかれ、そういったことも長く積み重ねるとその人にとって掛けがいのないものになってくるのです。それが大瀧さん(何と呼んだらよいのでしょうか、以降大瀧詠一と敬称を略して呼ばせていただきます。)との関係です。

前置きが少し長くなってしまいましたが、そもそも、現在自分が好きな音楽の大半はあるラジオ番組を聞いて知ったもの、ということから話しはじめましょう。それは現在のラジオ日本、旧ラジオ関東の「GO! GO! NIAGARA」という番組でした。最初、この放送に気が付いたのは偶然つけたラジオから流れてきた「港の見える丘」という平野愛子という人の曲をあの大瀧詠一が DJとして紹介しているのを聞いたことでした。それまでビートルズに始まってリバプール・サウンズやバーズ、ウェストコースト系のものばかり聞いてきて、日本のなつメロなど顧みたことのなかった自分にとって、この曲のインパクトは意外とありました。そのこともさることながら、そういった曲をあのはっぴいえんどの大瀧詠一が好きで紹介している、ということの方が驚きでした。

これをきっかけに夢中になってこの番組を聞き始めました。勿論、こまめに録音しておいたのですが、ついうっかりして聞き逃したり、留守録がない頃でしたので随分無理をしてこの時間に備えたのを思い出します。単なるディレッタントとか、いわゆるマニア向けのものというより、いい音楽はいい、という視点をこの番組はもっていて、確かに大瀧詠一の趣味のものは例外なくいい音楽でした。中でもファッツ・ドミノ、フレディ・キャノン、バディ・ホリー、フィル・スペクター、エヴァリー・ブラザーズ等の特集は今でもカセット・テープにダビングして繰り返し聴いています。又、この番組に登場してくるリスナーの常連の人達も大変なフアンの方々で、こういう人達に支えられている番組、アーティストというのも珍しいものだと思っていました。

勿論、大瀧詠一作品も欠かさずチェックしておりましたが、「A LONG VACATION」の頃からやや遠退いていました。最近になってこのラジオの代わりに登場したインターネットの大瀧詠一の世界は、ああ、これはあのラジオの延長だな、と思わせるところがあって、再びお付き合いするようになったのです。きっとラジオより直接的で、タイムリーなところがよいのでしょう。

このメディアはナイアガラ関係者にとって絶好の表現の場と化しているように思えます。とはいっても勿論一番肝心の音に関してはまだまだサンプルに留まる程度ですので、いくらREAL AUDIOとかMIDI SOUNDとかいっても、かつてのラジオ番組には到底及ばないのが現状でしょう。しかし、いくつかの大瀧マニアの方のホームページでも見られるように、データベースとか、テキストの世界では十分に双方向のコミュニケーションが成立しているように思われます。

そこで今回の私の特集ですが、多くのマニアの方にとっての大瀧詠一というものではなく、極私的な大瀧体験を、やや古い視点から綴ったものという性格で作りました。ですからデータベースはおろか、資料的な価値のないプライベイトなものになっていますので、もし間違った表記等がありましたら、前もってお詫びしておきます。では大変長いイントロになってしまいましたが、時代を追って大瀧作品をどう体験したかを紹介してみましょう。(これは今年になってすぐ、今日の話題というコーナーに日変わりで連載したものをまとめたものです。)ではごゆっくりご覧ください。


大瀧詠一(72年)
私のナイアガラ体験のはじまりは、在住している大田区の図書館のレコード貸し出しで、『大瀧詠一(通称:ファースト)』を手にしたのがきっかけでした。このアルバムは72年の発売ですから、その直後のことだったと記憶しています。この図書館のレコードの好みはちょっと偏っていて、きっとその仕入れ担当者の趣味の強いもので、当時マイナーだったものを中心に仕入れているような感じでした。はっぴいえんどのメンバーだという位の予備知識で借りたのですが、まずB面トップの「あつさのせい」でブっ飛びました。(B面から聴いてしまったのですが)こんなのりのよい日本語と、よく聞きとれない発音と、意味より語呂に重点が置かれた音楽は初めてでした。今ではすっかり有名になってしまいましたが、私の"ホニオリン"の最初は「ママはうろうろふらふら」でした。その他にも「びんぼう」の間奏に入る前でいう掛け声、「びんぼう、きりなし、たのむコーラース」というのが、「びんぼう、きりなし、棚を壊す」に聞こえたり(後日談:実は更に私、最初は"たのむ"ではなく"多羅尾"とばかり思い込んでいて、ナイアガラのMLの方から違うというご指摘を受けました。)、とにかくこれまでにない面白さがぎっしり詰まったレコードでした。この『ファースト』を手にしてから、『ゆでめん』や『風街ロマン』を買い求めたのでした。



『SONGS』SUGAR BABE(75年)
これは大瀧詠一プロデュースのナイアガラ・レーベル第一弾である、SUGAR BABEの『SONGS』です。このレコードにも沢山思い出があります。たしか最初に彼等のライブをみたのは「BAY-AREA FIRST CONCERT」と題された目黒区民センターで行われたコンサートだったと記憶しています。(私のお宝のコーナー参照。)(後記:この表記に誤りがありました。詳細はこちらを。)この時のメインは鈴木茂バンドでしたが、大瀧さんや細野さんもゲストで登場し、ティン・パン系とナイアガラ系が一堂に会したものでした。その際、当時、名も知れぬ長髪のやせ男が、それこそギターからドラムからヴォーカルから全部やってやけに目立っていました。それが若き日の山下達郎氏でした。その後、何度かコンサートで聴いて気に入ったので、発売直後にこのレコードを手にし、繰り返し聴くようになりました。特に紅一点の大貫妙子の「蜃気楼の街」と「風の世界」という曲が不思議と私の体に残りました。ですから今でも山下達郎も大貫妙子もSUBAR BABEのメンバーとしての印象が強いのです。



NIAGARA MOON(75年)
『NIAGARA MOON』という2枚目のソロ・アルバムを紹介します。前作がはっぴえんどの呪縛から解けて自己のルーツ・ミュージックをいかんなく追及したのに比べ、このアルバムは更に遡って、ニューオリンズ色をうち出したリズムあり、エルビス風R&Rあり、メリンゲあり、といった調子で多彩さを誇っています。ここでの"ホニオリン"は「恋はメレンゲ」の「たった一度のダンスでロマンスの花が咲く」が「たった一度のカステラ・バス(?)の花が咲く」(そういう花があるのかな?と思ってしまった。)と長い間聞こえていたことです。原則としてあまり歌詞カードをみないのが災いしてこのフレーズはこれでいいや、と決めていました。「ROCK'N' ROLL MARCH」「HAND CLAPPING RHUMBA」におけるドラミングが今だに見事な出来です。



NIAGARA TRIANGLE VOL. 1(76年)
これは大滝詠一、山下達郎、伊藤銀次の3人で出した『NIAGARA TRIANGLE Vol. 1』というものです。確かこの3人でレコードを作るという発想は彼のラジオ番組で鼎談をした時のことときいていますが、それぞれの個性をこういう形で表現したものとしては決して3等分ではありませんが、楽しいものになっています。個人的にはトップを飾る山下達郎の曲が抜き出ているように思われますが、伊藤銀次という人の存在も強いものになっています。(余談ですが私の友人に高校の頃の銀次氏を知っているやつがいて、その頃のエピソードをいろいろ聞かされています。)その2人をニコニコ笑ってまとめているのが大瀧先生というイメージです。このアルバムからのシングル・カット・ヴァージョンの「幸せにさよなら」では、アルバムと違って3人が均等にソロをとっています。



GO! GO! NIAGARA(76年)
大瀧詠一という人はいくつかの顔を持つマルチ・キャラクターとしてつとに有名ですが、私が一番好きなキャラクターはDJのイーチ・オータキ氏です。そのラジオの番組は当時、必死に録音したものでした。(そのテープは我が家のお宝です。)その話しは別のページに譲るとして、これはその番組の形式をレコードにした『GO GO NIAGARA』というものです。実にこのレコードが味わい深いものなのです。あまりに嗜好が多いため、一言では語れませんがとにかく「あの娘に御用心」に出てくる曲だけでもすごい!(そのオリジナルをかけまくるという特集がGO! GO! NIAGARAの107回目にありましたね。)また、THE FIRST NIAGARA TOURの際の鯉の滝のぼりなんかを思い出したりして、やっぱりこのレコードは趣味趣味ミュージックの頂点だったかもしれません。



NIAGARA CM SPECIAL Vol. 1(77年)
このレコードが出た77年当時はまだ今のようにドラマの主題曲やコマーシャル・ソングに普通の曲を使うという風潮がなく、しかも三木トリローとか小林亜星のようなプロの作曲家がCM SONGを作っていました。そんな中で一早くこの分野に着目し、しかも余技ではなく、真剣に取り組んだ大瀧詠一という人はそれだけでも特筆に値します。『NIAGARA CM SPECIAL Vol. 1』と題されたこの一枚にはそんな職人根性(最近はめっきり少なくなったねー)のようなものが見え隠れして、大瀧マジックを解明する一つの鍵があるようにさえ思われます。私はとりわけ「ジーガム」の歌がだあい好きです。この曲、シングル・カットしないのでしょうか?



多羅尾伴内楽団VOL. 1(77年)
ヨーロッパ、北欧のサウンドを中心にインストでまとめた『多羅尾伴内楽団VOL. 1』という作品は一部好事家向けのアルバムかと思っておりましたが、今聴くと大変ポピュラーな一枚に思えます。また、後の大滝サウンドを占う意味においても重要な一枚ということになるでしょう。解説風にいえば、ジョー・ミークやスプートニクスをベースに哀愁サウンドというジャンルを確立させたといえるのでしょうか。フィーチャリングされている駒沢裕城さん(ペダル・スティールの名手)は現在どうしておられるのでしょうか?



NIAGARA CALENDER '78(77年)
『多羅尾伴内楽団VOL. 1』と『多羅尾伴内楽団VOL. 2』のおけ狭間に出された『NIAGARA CALENDER '78』こそ趣味趣味ミュージックの集大成だったような気がしています。こういうレコードがあれば一年、いや毎年通期で楽しめるという発想でしたが、どうもそういう訳にはいかなかったようですね。でも各月の曲想を季節に合わせて楽しむことや、その中にこれまでのすべてのエッセンスを盛り込んだこのアルバムは時を経つにつれてますます評価が高くなっていくことでしょう。いろいろなヴァージョンがあって、コレクター泣かせのアルバムとなってしまいましたが、ベースとなるサウンドは正にナイアガラ趣味趣味ミュージックの極致です。



多羅尾伴内楽団VOL. 2(78年)
このアルバムで特筆されることは、かのムーンライダーズのメンバーの多く(鈴木慶一、白井良明、かしぶち哲朗、岡田徹)がレコーディングに参加しているということです。ここに私の溺愛する2大アーティストの共演が実現している、という意味においても大変重要なレコードです。 VOL. 1ではスティール・ギターが主役でしたが、『多羅尾伴内楽団VOL. 2』ではシュガー・ベイブの村松邦男氏のエレキ・ギターが中心のサウンドです。こういう形でこそその人の趣味のこだわりがストレートにでていて好感がもてます。



DEBUT(78年)
『DEBUT』というタイトルのこの作品はベスト物という性格からはっきり言って印象の薄いものといえます。ナイアガラにおける雌伏期というか、陽の目をみない不遇の時代を物語るかのような時期に出たものとして位置づけられるのでしょうか。一応フアン投票の多い順の選曲ですが、例によってテイクが違っていたり、ライブ・ヴァージョンがあったり、単なるベストではないのがミソ・ショウユですが。数少ないナイヤガラーにとってはそうしたママッ子の方が愛着があって可愛いのと同じで、案外大事にしているフアンの方も多いのではないでしょうか。



LET'S ONDO AGAIN(78年)
やけのやんぱち、花の二八という感じで世に問うたのが『LET'S ONDO AGAIN』です。パロディ精神を受け入る土壌が少ない日本において、かくも遊びに徹したアルバムというのも過激を通り超して、チョベリラディカルな作品といえます。ここにはナイアガラ・サウンドのもう一つの要素がコミック・ソングとして結実しています。こうした路線にもファンはついていくもので、ナローキャスタ、大瀧教祖の確立期ともいえます。(教祖というとすぐあの男が思い浮かぶ昨今ですが、いい意味でナイアガラは信仰心に支えられている数少ない集団ではないでしょうか。)



A LONG VACATION(81年)
これは言わずもがなのミリオン・セラー・アルバム、『A LONG VACATION』の登場です。このアルバムに対する愛着は私のような者より、多くの正統的フアンの方々の方が熱く語れるのではないでしょうか。あまりに長い間ヒット曲に恵まれなかったアーチストのフアン心理としては2通りあります。もちろん正常な神経の持ち主は、いつか花開くことを切望しています。その反対に、サブカルチャーにどっぷり浸かってしまった者にとっては、広く人口に膾炙されない方がその存在意義がある、なんて所詮強がりを吐いてみたいものです。私がどちらに属すかは、この語り口から自ずと察しがつくことでしょう。



NIAGARA TRIANGLE VOL. 2(82年)
82年に出たこのアルバムでは佐野元春、杉真理との共演となりました。この二人、それまではあまり縁がなかったのですが、この作品を聴いてからそれぞれのソロ・アルバムも聴くようになりました。両方ともビートルズの影響をもろ受けているな、というサウンドで、佐野がジョン、杉がポールといった感じでしょうか。この盤でも大瀧先生は名プロデューサーに徹するという役まわりで、NIAGARA TRIANGLEというのはこうした新しい才能の発掘に力を注いでいるのかもしれません。次作は一体いつのことになるのでしょう。



NIAGARA CM SPECIAL Vol. 1(2nd Issue)(82年)
『NIAGARA CM SPECIAL Vol. 1(2nd Issue)』NIAGARA CM SPECIALというのはこの盤を含めて3枚出ています。それだけこの手のアルバムを大事にしているということなのでしょう。わずか1分そこそこの中に、いろいろなルーツ音楽のエッセンスを入れていく、という作業はさすが職人ならではのなせる技ではないでしょうか。



EACH TIME(84年)
実質的にはこの『EACH TIME』というアルバムがオリジナル・アルバムとしての最後のものとなっています。(この後、『NIAGARA SONGBOOK I』や『BEACH TIME LONG』等がありますが)ここでは『A LONG VACATION』の後を継いでメロディ・メーカー、大瀧詠一のポップな一面を更に深化させたものとなっています。『ロンバケ』の成功の上に立って、聴きやすさは一流ですが、どこかちょっともの足りなさを感じるのは、私だけでしょうか。この作品の中にも謎解きがいっぱい隠されていて、興味はつきないのですが、この辺にくると私、あまり詳しくないのです、ハイ。



さてこれで私の大瀧体験の紹介はおわりです。次のページにその膨大なルーツ音楽を楽しく聴かせてくれた「GO! GO! NIAGARA」というラジオ番組の紹介をしてみようと思います。よろしかったら、こちらも見てください。また私の大瀧関連グッズをお宝のコーナーに載せてあります。他人にとっては他愛のないのですが今だに大事にとってあります。人の自慢話しがお嫌いな人は飛ばしてください。