1999年9月1日
『黒猫・白猫』(BLACK CAT, WHITE CAT)
(感想文)これは何とも不思議な力を持った映画でした。映画の魅力とは現実には起らない出来事をスクリーンという虚構の世界で面白く展開してくれ、しかも見終わった後にカタルシスを与えてくれるという側面があると思います。そういう観点からするとこのユーゴスラヴィア出身の映画監督の作品は映画という表現手段を十二分に使って独特の世界を構築するのに成功したいい例ではないでしょうか。
しかし内容は実に荒唐無稽でストーリーを紹介するのも苦労するのですが、一応覚えている範囲で説明してみましょう。舞台はユーゴの片田舎の船上生活者の描写から始まります。ポーカーばかりやってうだつの上がらないおやじ(マトゥコ)とその息子のやりとりが既にちょっとおかしいこれからの展開を予告しているような導入部です。案の定、この親子はロシアからやってきた密輸船に船で買い出しに行き、まんまと騙されてしまいます。金に困ったマトゥコは同じジプシー仲間の中でゴッドファーザーと呼ばれているグルガ・ビティチを訪ね、中東からの石油を積んでくる列車を襲って大金をせしめる計画を伝え、その資金的援助を要請するです。このあたりの流れも相当荒唐無稽な感じなのですがそれに地元のマフィアのようなダダンという薬狂いのヤクザが絡んできて、その妹とマトゥコの息子を結婚させようとしてドタバタ喜劇となるのです。死んだ筈のマトゥコの父親が一旦死んでもう一度息を吹き返したり、ダダンの妹が結婚式を抜け出して木の切り株に隠れて逃走したりするあたりは現実味がないといってしまえばそれまでなのですが、あまりそういった批判が的外れな程、可笑しさが先行してしまう作品なのです。最後は2組の新婚カップルができて目出度し目出度しのハッピイエンドとなるのですが、単なるコメディにない気骨ある精神が垣間見られ感心させられました。
私はこのクストリッツァという監督の『アンダーグラウンド』や『ジプシーの時』を観ていないのですが監督復帰第1作(クストリッツァは一度政治的な理由から映画界から引退を宣言していたのでした。)は十分にその才能と新しい映画のあり方を示してくれた作品として評価できます。
それともう一つ気になったことはこの映画にはプロットと無関係に印象的なシーンが数々盛り込まれているということです。例えば再三にわたって登場する黒猫と白猫のカットや、壊れた自動車(東欧を代表するトラヴァント)を“食べる”豚とか、木に縛り付けられた楽団のメンバーとか列車の遮断機にぶら下がった税関士の死体、それに尻で釘を抜く特技を持った歌手等々意味を追うよりそれ自体で十分メッセージ性を獲得している演出が至る所で見られます。クストリッツァ監督によればそれぞれに付加したした意味合いがあるとのことでしたが、それを鑑賞する我々にはどういう意味かということではなく瞼に焼き付いた印象としてインパクトがあればよいと思いました。
また更にもう一つの要素である音楽も大変魅力的で、これはジプシー音楽の枠を越えてワールド・ミュージックに相当する面白さがあると思いました。演奏しているのはNO SMOKINGというクストリッツァもかつてメンバーだった地元のバンドで、病室に自分のおじいちゃんをお見舞いにいくシーンでもバックで演奏していましたが、不思議な魅力のあるバンドだと思いました。
いずれにしても自分にとっては今までにない映画の種類で、アルトマンともウディ・アレンとも違う個性を持った興味ある監督がまた一人登場したという感じでしょうか。是非ともその他の作品も鑑賞してみたくなりました。
エミール・クストリッツァ監督、1998年ユーゴスラヴィア作品。
(キャスト)マトゥコ・デスタノフ:バイラム・セヴェルジャン、ダダン:スルジャン・トドロヴィッチ、イダ:ブランカ・カティチ、マトゥコの息子、ザーレ・デスタノフ:フロリアン・アイディーニ、イダの養祖母シューイカ:リュビッツァ・アジョヴィッチ、“ゴッドファーザー”グルガ・ビティチ:サブリー・スレイマーニ他
8月21日からシャンテシネ2にて公開中。
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