1999年11月30日

『舗道の囁き』


(感想文)この映画は昭和11年、日本の映画に大きく貢献したプロデューサー、加賀四郎氏によって製作された映画で、長い間幻の作品として封印されてきました。この度、『ダンシング・オールライフ・中川三郎物語』の作者でもおられる乗越たかお氏のご尽力によってやっと我々一般の眼にもふれることができたという貴重な映像で、逐一眼にやきつけるようにして観てきました。いろいろ分からないことや記憶が曖昧な箇所もありますが、先ずあらすじからご紹介してみましょう。

アメリカ生まれの女性ジャズ・シンガー、ベティを日本でデビューさせ、一儲けしようと企む悪者興行師とそれに対抗する青年記者佐竹(鈴木傅明)とのやりとりから物語は始まります。ベティに好意的な佐竹のアプローチも空しく、結局悪徳興行師たちに翻弄され、負債をかかえ無一文になってしまったベティはミルク・ホール(太陽軒)という食堂で無銭飲食をとがめられ、店主から叩き出される羽目になる。そこにやはり職を失ったバンド・マスターで佐竹と一緒の文化住宅に住んでいる沖(中川三郎)が通りかかりベティを助ける。雨の降る夜、行く宛のないベティを沖は自分のところに引き取る。それを沖に好意を寄せる佐竹の妹が見て悲しんだり、その妹のことを好きな佐竹の同僚カメラマン(関時夫)がユーモラスに迫ったりする。そんな中、沖は佐竹を初め周りの協力によってバンドの楽器を調達し、バンド・コンクールに出演するものの肝心のベティがいない。カメラマンが探しに行ってベティを見つけ、ダンス・ホールに連れてくる。そこでベティ作曲の歌とタップを披露して喝采を浴び、レコード会社の重役の目にもとまり、二人は結ばれるが、そのことを一番喜ぶはずだった佐竹は不慮の事故で死んでしまう。

大体こんなストーリーだったのですが、この映画はむしろ筋立てより、ここで聞かれるベティ稲田のジャズ・ソングの数々の輝きに驚かされました。服部作品としても特筆される主題歌の「舗道の薔薇」(歌うはベティ稲田とリキー宮川のお二人)を聞けただけでも収穫でしたが、その他にもいろいろ印象的なジャズ・ソングがちりばめられていて、私にとっては最高の内容でした。

例えばベティが引き取られてきた沖の部屋で食事の準備する際に歌う鼻歌が何と「ブルー・ムーン」であったり、「スィート・スー」や「ダイナ」「ラクカラーチャ」なども魅力的に歌われていて全部録音したくなってしまう程の音楽宝庫でした。そのサウンドの再生が完璧で、よくもこれだけの作品にして残してくれたものだと感心してしまいました。特に実際のバンド・マンとして登場したコロンムビア・ジャズ・バンドの演奏が素晴しく、これが昭和11年という戦前の時代を考え併せるとますますこの作品の価値を感じてしまいました。

奇しくも私が今年になって感動したマキノ作品、『鴛鴦歌合戦』が昭和13年であの脳天気であるのに対し、こちらの音楽センスやユーモア感覚もあちらに負けず一流で本当に堪能しました。実はストーリーは細かく追及すると相当荒唐無稽のところもあったのですが、そんなこと以上に日本のクラーク・ゲーブルと称された鈴木傅明の演技のディテールやタップの天才、中川三郎の旬の踊りや、ベティ稲田のジャズ・テイスト、関時夫の向こうのコミック・センス等々実に語るに多い作品であることは間違いないでしょう。妹役の花房銀子という女優さんにも魅力を感じてしまいました。常に和服で登場し、典型的な日本人女性のイメージをうまく出していました。

因みにこの映画が実際のバンドが映画に出演する初めての作品だったようで、いわばジャズ・ミュージカル作品ではないのですが戦前のジャズ・ソングの質の高さを証明するような画期的な作品であったことは間違いないでしょう。又、主演・監督の鈴木傅明という人は雰囲気が洋風で、体格も日本人離れしていてかっこよく、一遍で好きになってしまいました。その昔は水泳の選手だったとかで、映画の中でもそれを匂わせるやりとり(悪徳興行師たちから脅かせれて、海には蓋がないから気を付けた方がいいぜ、と言われ、手で泳ぐ真似をして、泳ぎの方は大丈夫という仕草がその伏線となっていました。)やこの作品が主演・監督第1回作品でそれ以降はしていないということなのでこれまた鈴木傅明フアンにとっても貴重な作品のようです。

実はこの作品の上映の後、製作者の加賀四郎さんのご子息でおられる加賀祥夫氏と中川三郎さんの娘さんが登場して乗越さんからインタビューを受けていました。その中で語られていたエピソードのいくつかをご紹介しておきますと、この作品を含め昔の貴重な作品を加賀さんのご自宅に保管しておき、しかも1箇所ではなく3箇所に分散して取っておいたのですが、それが結局近所だったので戦争で全部消失してしまったこととか、中川三郎さんがベティさんと雨の中で泥まみれになるシーンで、折角ニューヨークから買ってきたフラノのコートやハットが自前だったため、全部台なしになってしまったことや弱冠二十そこそこの中川さんをベティさんと釣合のとれた年齢にする演出のために頭の毛を抜かれたエピソードなどを語ってくれました。

また、会場には何と服部良一さんの奥様とその娘さん、それにお孫さんの3人がいらしていて、乗越さんから紹介されていました。全体で50人位の参加者数だと思われましたが、年齢層もまちまちで、何とも幸せな空間でした。最後になりましたがこのような企画を地味ながら着実に行っているニッポン・ジャズエイジ発掘隊の隊長の乗越さんの熱意とご努力に心からお礼を申し上げたいとともに今後いろいろな意味でのエールを送りたいと思います。乗越さん、ご苦労様でした。

追記:この映画の主題歌でもある「舗道の薔薇」は一遍で覚えてしまうようないい曲で、服部さんの曲とともに藤浦洸氏のペンによる作詞も素晴しくここに歌詞を転載させていただきそのよさを理解してもらいましょう。

そよ風かおる春の宵、若い僕らの胸は燃え
青空高く雲は晴れ、きらめく星に心躍る
ジャズの間に間に、浮かれているが
愛しい人の幻に、ひとの情けの寂しい宵

おゝはかなき夢の悲しさは、ペーブメントに落ちた薔薇
そぞろの歩みつれづれに、踏みにじられてなるものか
ジャズのリズムに誘われ歌ひ
愛しい人の帰り来る、ひとの情けの楽しい宵

優しい心強い腕、若い僕らはジャズが好き
青空高くアドバルーン、あれは僕らの心臓だ
風の間に間にかがれているが
夕日に映えて紅く燃ゆ、人の情けの若い僕ら

会場の江戸東京博物館を後にして、興奮さめやらぬ帰り道、♪そよ風かおる春の宵、若い僕らの胸は燃え♪と両国駅まで口ずさんで帰りました。

尚、この映画や乗越さんに興味をお持ちの方はこちらのページをご覧ください。


監督:鈴木傅明、音楽:服部良一、製作:加賀四郎、1936年日本作品。
(キャスト)青年記者佐竹:鈴木傅明、タップ・ミュージシャン沖:中川三郎、ジャズ・シンガー、ベティ:ベティ稲田、佐竹の妹:花房銀子、佐竹の子分:関時夫、トロムビア・レコードの重役:中野英治(特別出演)、ジャズ・バンド:コロムビア・ジャズ・バンド(特別出演)他
1999年11月27日『ニッポン・ジャズエイジ発掘隊』第3回報告会の特別上映会にて



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