2011年11月1日
『父、帰る』(Возвращение / 英語題: The Return)
(感想文)Kさんに薦められて2003年に制作されたロシア映画『父、帰る』をTSUTAYAで借りてきて観ました。感想を聞かせてほしいということでしたので久し振りにこのコーナーを復活させて感想を書いてみようと思いました。ただ、長い間ほったらかしにしていたコーナーだけにリハビリのような気持ちで書いてみますのでやや偏った見方になってしまうかもしれませんがお許しください。
先ずネタバラシになるようですが少しあらすじ紹介から入ってみようと思います。
少年たちが高い塔から海に飛び込むシーンから物語が始まります。度胸試しでみんな勇気を持って飛び込むのに一人だけ恐くて飛び込めない少年がいます。それがこの映画の主人公の兄弟の弟の方で兄が飛び込んた後に結局飛び込めずに怖じ気づいてその場に佇んでしまうのです。それを発見して慌てて保護しにくる母親。そんな兄弟の違いを見せておいて突然父親が家に戻ってくるという「事件」から物語が動き出します。
しかしこの物語は謎だらけです。何故12年振りに父親が帰ってきたのか?どこから?なんのため?そしてどうして息子二人を連れて旅に出るのか?どうして二人に厳しく当たるのか?何故二人を連れて島に渡るのか?その答えは最後まで語られません。
そのことが却って二人の気持ちだけをクローズアップさせる効果のように展開しています。兄アンドレイは比較的従順に父親の指示に従うのですが、弟イワンは最初から父親に不信感を持っており、小さい反抗を繰り返し、終いには車から降ろされ釣り道具とともに路上に取り残されることになってしまいます。それってどういう意味があるのか。そんな弟の気持ちに我々が乗り移るように物語は進行します。いろいろな場面で父親と息子の対立関係は深まるばかりで通常の親子の会話が一切なされません。(一カ所、島で食事をするシーンでアンドレイと父親がジョークを語る場面があるのですが、これも短く遮られています。)時に厳しく、時に優しくしてやってもいいのではとつい思ってしまいました。
むしろイワンが取り残され雨に打たれ車に入れられた際いみじくも父親にぶつけた言葉、「なぜ?帰ってきたの?いじめるためなの?」という言葉を私も一緒に口に出してしまいそうでした。これらの仕打ちは教育的見地からの躾なのか?他に何か特別な理由でもあるのか?ロシアの父親像とはこういうものなのか?それも観る者には謎のまま残ってしまいました。つまり父親に共感が湧かないままカタストロフィに向ってしまったのです。
とりわけ印象的なのはイワンの父親を見る際の不信の眼差しで、それが一カ所でも親子の情に支えられたものを示してくれたらよかったのにと思いました。また母親が最初に登場するのですが、飛び込み台の場面しか存在感がなく、他のシーンでは無表情であまり感情移入できない佇まいで描かれていたことも違和感が残りました。少しでも親の立場からの何らかの解説か父親が帰ってきた事情の説明があればもっとこの謎に包まれた物語に現実味を持たせることができたのではないでしょうか。
あるいはイワンのムッとした眼差しが観る者の共感を呼ぶのでしょうか、とにかくいつの間にか我々の視点は子供たちに同化してしまうのです。それが監督の狙いだったのか、極限の状態を作り出し最後に悲劇的な結末を用意するための演出だったのか、とてもやりきれないものを残す映画でした。それを見事な演出と評価するのか、理不尽な条理と解釈するのか、人それぞれだと思いますが、私にはカタルシスの残らない作品と映りました。もう少し父親側に立った意図が見えると子供たちに対する愛情や教育の一端が垣間みれて共感できるのではと思いました。
時折バックに写るロシアの広大な自然の姿がせめてもの救いでしょうか。原色を生かしたカメラ・ワークは絶品でした。エンドロールでアンドレイが撮っていた写真をコマ送りで紹介するという手法もよかったです。このロシアに出現した若き監督、アンドレイ・ズビャギンツェフの次作に期待したいと思います。
最後に長い間忘れていた映画の感想文を書かせてくれたKさんに改めてお礼を言いたいと思います。
(Special thanks to Mr. K.)
アンドレイ・ズビャギンツェフ監督、2003年ロシア作品。
製作:ドミトリイ・レスネフスキー、音楽:アンドレイ・デルガチョフ、撮影:ミハイル・クリチマン、出演:イワン(イワン・ドブロヌラヴォフ)、アンドレイ(ウラジーミル・ガーリン)、父親(コンスタンチン・ラヴロネンコ)
TSUTAYAにてDVDで。
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