コンサートレポート

彼等が先に行きつくのか、私が先に果てるのか、そういったレベルのコンサートとなってきました。

六匹侍SPRING大行進


2001年4月18日(水) お台場ZAPP TOKYOにて



ムーンライダーズのライヴが約3年ぶりで行われるというのでまた我が家の住人と阿部家の住人の4人といういつものメンバーで出かけていくことにしました。今回は会場がZepp Tokyoという初めての場所だったのでまずどこにあるのか確かめたりしながら時間をかけて出かけていきました。実はこの日は昼間も別の私用があって会社を休んでしまったのですが却って忙しい中での久し振りのライブ鑑賞となりました。会場に着くともう阿部親子はもう席についており、何やら首にボトルをぶら下げて開演を待っていました。私もドリンクをもらいにいき、そこでストラップ付きの飲料さということを知りました。

さて、ライブ・レポートということで詳細にその模様をご報告しようと思ったのですが、断片的な回想しかできないレポートになってしまいそうです。最近は記憶力が衰えてディテールまで覚えきれなくなってしまったのです。で、まず会場に入って待っている間、どうして私は彼等のライヴに固執して出かけていくのか、ということから考えることにしました。別に際立ったヒット曲があるわけでもないし、ライヴならではの演奏をしてくれる訳でもないのに何が魅力なのだろうか。また私はいつまでこうしてライダーズのコンサートに足を運ぶのかと思っていたら、会場が暗くなって演奏が始まりました。中央に慶一氏が登場し、何やらミニ・ムーグをいじりながらイントロを流すと、他のメンバーがおもむろに入ってきて演奏を開始しました。

私は今回の演奏は先ごろ発表された新作『Six musicians on their way to the last exit』という大変長いタイトルのアルバムの曲を中心にやるものだと思っていたのですが、意外にも過去の曲を思いきったアレンジの演奏で終始するという演出でした。出だしは何と「火の玉ボーイ」だったり、例えば「酔いどれダンス・ミュージック」を「東京音頭」とかぶせて披露したり、ビートルズの「愛こそはすべて」を下敷きに「スカーレットの誓い」をやったり、かなりの工夫と冒険の感じられる選曲でした。勿論、6人それぞれによるソロ・パート(かしぶち氏の「トラベシア」の斉唱がよかった!)もあったり、白井良明のハイ・ギター・テクニックもしっかり紹介され、みんな健在という印象を自然と与えてくれるコンサートでした。逐一演奏曲目をご報告できませんが、思い出すところで博文氏のヴォーカルで「さよならな夜明けの夢に」やアレンジのきつい「イスタンブール・マンボ」や「ニット・キャップ・マン外伝」、それに「ニット・キャップ・マン」「Sweet Bitter Candy」などもばっちりやってくれました。そのうちにいつもと変らず段々引き込まれている自分がそこにありました。

今回のコンサートの特徴を強いて言えば演奏の間、メンバー紹介やいつものMC等を一切入れず、段取り通りに黙々と曲をこなしていく、というもので国内のコンサートでは初めてのケースだったと思います。そういった無機質な演出が彼等らしくていいなと思ってみていました。またアヴァンギャルドなセンスがあちこちにちりばめられており、オーディエンスが付いていくのがやっとという流れもありました。でもその辺りが彼等の真骨頂とでもいいましょうか、一筋縄ではいかない6人の個性を十分に感じさせてくれるパフォーマンスでした。慶一さんはちょっと気持ち悪いカツラをかぶって登場したり、良明氏とクジラくんが歌舞伎よろしく日傘を持って大見栄を切る演出もあってヴィジュアル的にも楽しめたと思っています。

そして最後の方には岡田さん自身による「ウェディング・ソング」のソロ・ヴォーカルも聴けて個人的には大変満足のいくコンサートでしたがここで再び何故彼等のライヴに足繁く出かけていくのだろうという開演前の思いに戻って自問自答してみました。まわりのそんなに歳をとっていない女の子たちが体を振って拳を挙げて彼等の演奏に応えている様子をみて、ライダーズの持つ不思議な魅力と長年自分たちのスタイルを表現し続けてきたベテラン・バンドの自信のようなものがオーラとして出ているように思えました。そして私が毎回、無理をしても出かけていこうと決心した動機は、たぶん6人の強烈な個性がこちらの予想を超えた演出や演奏、アレンジで毎回楽しませてくれるホスピタリティによるのではないかと思いました。絶対同じタイプのライヴはやらないぞ、という矜持が彼等のライヴは見逃さずに行こうと思っている最大の理由かもしれません。一つのバンドをとことんまで追っていくというパターンは私の場合このムーンライダーズ以外には考えられないのですが、もうお互いいい歳になってしまい、彼等が先に行きつくのか、私が先に果てるのかといったレベルの付き合いになってきたようにも感じました。別に他人の評価だとかバンドの現代性などといった流行に支配されることのない不易の境地のようなものがこのバンドにはあるようにも思えました。最後は全員が黙って観客と対峙するといった憎い演出も決まっていて飽きさせない演出法が効を奏していたように思えました。



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