最近考えていること

公開日:1997年9月21日

■ 参政権を国籍で区別しなければならない技術的な問題

「こんな本を読みました」で、「在日韓国・朝鮮人の参政権要求を糺す」という本を読んだ感想を書いたところ、何人かの方から、私の考えに対するメールをいただきました。
メールを送って下さった方は、皆さん、在日韓国人・朝鮮人(以下、在日と略す)の方達でした。
どちらかというと、私の考え方に対して批判的なものだったのですが、何回かのメールをやり取りすることで、私の考え方についてご理解していただけたものと思っています。
(メールをお送りいただいた方は、どの方も、紳士的な方ばかりで、批判のための不毛な議論というのはありませんでした。あのようなメールのやり取りであれば、歓迎です。)

「在日韓国・朝鮮人の参政権要求を糺す」を読んでの感想は、いまでも、そのままですし、外国人の参政権に関する考え方も、この本に書かれているものと私の考え方は、基本的に同じです。 ということで、「おい、お前、どんな考え方を持っているんだ?」と疑問を抱かれたかたは、この本を読んで下さい。

で、メールを色々とやり取りし、一段落した後に、

  • なぜ、国籍で区別しなければならないんだろうか?
  • なぜ、在日の人達が国籍が無いのに参政権を要求することに、一定の説得力を持つのだろうか?
  • なぜ、地方自治体レベルの参政権付与も難しいのだろうか?

ということについて、ずーと考えていたのですが、ようやく、その考えがまとまったので、つらつらと書くことにしました。


私は、国境などというものが無くなってしまい、地球が一つの連邦国家のようになってしまったら、国籍などというもので区分けをすることが馬鹿らしくなるだろうと思いますし、将来、そのようになればいいなと考えています。
しかし、これは、23世紀か24世紀にでもならないと実現不可能だろうとも思います。(スタートレックの世界が実現でもしなければ、無理ですかね。)
現実の地球上では、場所によって、生産力/経済力に差があり、文化/民族/宗教といった諸々の問題が深く絡んでいるため、どうしても、国家という「くくり」で場所を区分けするしかありません。
で、ものすごく話を端折ってしまいますが、その国家に帰属しているか、いないかを区別するために「国籍」という方法で区分けをしているわけです。
(国家と国民のありかたについては、ここで説明をしている余裕がありませんので、興味のある方は、各自で勉強して下さい。)

さて、メールをいただいた在日の方に指摘されたのですが、在日も3世、4世になると、本国の親戚と交流があるわけでもないし、実質的には日本人と変わりなくなっている場合が多いと。日本生れで日本語しか出来ず、国籍だけ韓国なら、参政権があってもいいんじゃないのか?という考え方もあると。
この考え方には、心情的には「確かにそうだね。」と思うところもあります。
そして、この「実質的には日本人」という部分が、在日側の主張に一定の説得力を与えている原因ではなかろうか?と考えるようになりました。
「実質的には日本人」に対しては、参政権を付与することができれば、在日の参政権問題の解決につながるのではなかろうか?
そこで、この「実質的には日本人」度をどのようにして判定すればいいのか?その方法があるのか、ないのかを考えてみました。

「国籍」と「実質はどうか」の組み合わせは、下記の四通りになります。

No.国籍実質補足説明
1日本日本人ごく普通の日本人
2日本非日本人民族的には日本人だが、中身は外国人
3外国日本人ここで言うところの在日外国人
4外国非日本人本来の意味での外国人

“1”と“4”は説明の必要がありませんね。
“2”はどのような人かと言えば、例えば、両親とも日本人で、国籍も日本だが、親の仕事の関係で、子供の頃からアメリカで育ち、日本語よりも英語が母国語となってしまって、中身はアメリカ人で、本人自身もアメリカ人としての意識がある、というものです。
“3”は、ほとんどの在日韓国人・朝鮮人の人達がここに該当するでしょうし、これら以外の出身の人でもここに該当する場合が結構あるのではないでしょうか?
例えば、両親ともインド人で、本人もインド国籍なのだが、日本で生まれ育って、母国語が日本語になってしまっている場合などです。

“2”の場合には、実質は日本人ではないのに国籍が日本だということで参政権があり、
“3”の場合には、実質は日本人なのに国籍が外国だということで参政権がない
という一種のねじれ、違和感が、在日側の主張に一定の説得力を持たせているのではないだろうかと思うようになりました。

在日の人達の主張にもあるように、実質は日本人と変わらないのだから、参政権があってもおかしくないだろうというのは、ある一面では的を得ていると私も思います。
しかし、問題は、どのようにして、「実質的には日本人」ということを判定するかということです。

ちょっと、こんな例を考えてみましょう。
政府や自治体が、“2”や“3”に該当する人に対して、実質的には日本人であれば参政権を与えるために「日本人度判定協会」なるものを作り、そこで、判定面談を行い、実質的に日本人と判定されれば、参政権を付与するということが可能でしょうか?


「はい、次の方どうぞ。あ、在日韓国人の方ですね。えーと、日本生まれで日本育ちと。学校も全部日本の学校ですね。勤務先も...あぁ、ごく普通のとこですね。それでは、あなたは、実質的には日本人ですね。ご苦労様でした。

はい、次の方どうぞ。っえ?英語話せますかって?だめですよ。日本語じゃないと。日本語、あまり得意ではない?うーん困りましたね。...さてと、国籍は日本ですね。両親も日本人と。...日本で生まれて2才の時に両親の仕事の関係で渡米と。
21才までサンディエゴにいたんですか...。二ヶ月前に帰国したばかりと。
え?私の日本語がよく判らないって?
う〜ん、あなた国籍は日本ですけど、実質は外国人ですね。残念ですけど、参政権はありません。はいご苦労様でした。

はい次の方。うわ、背が高いですねぇ。2メーターくらいありますよねぇ。
さてと、あなたはと...デンマーク出身ですね。あれ?国籍が日本になってますよ。
え?半年前に帰化したばかり?なんで、ここに来たんですか?通知が来たって?ちょっと見せてもらえますか?
あ!この通知間違ってますよ。帰化の許可が出て日本国籍がとれるような人は、日本人として認められているわけですから、日本人度判定協会の面談なんか必要ありませんよ。
っえ?参政権はあるのかって?もちろん参政権、あります。ご心配無用です。

はい、次の方どうぞ。」


こんなふうに、“2”や“3”に該当する人の日本人度を判定するというのは、技術的に無理ではないでしょうか?
(もっとも、技術的に可能だとしても、現在の民主主義制度上では、実行不可能ですね。)

誰かが新しい制度を発明でもしない限り、現状の制度では、どこかで日本人と非日本人の線引きをしなければなりません。日本では、日本人度を上記のように判定することは技術的に不可能なわけですから、普遍的に認められている方法、つまり、国籍の有無で切り別けるしか手がありません。

地方自治体レベルの参政権についても、県政レベルまでなのか、市町村レベルなのかという問題と伴に、各個人の県民度やら市民度を判定することは出来ないことは、技術的には同じことです。

このように見てみると、何か画期的な制度/仕組みが発明でもされない限り、現状では、国籍の有無で参政権のある・なしを分けるしかないなぁとの結論になりました。

余談ですが、「日本人度判定協会」が現実に設立されて、日本国籍所有者も判定しなければならない、ってなったら、かなりの数の日本人が参政権剥奪されるかも知れませんね。
国籍っていうのは、一体、なんなんでしょうね?

おまけ

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